塩沢ホールは「フランチャイズホール」

時は今、ではなくて、もうかれこれ二十数年昔のお話。

当時の首都圏合唱関係者の一部の間では、長野のコールアカデミーという合唱団は自分達の「フランチャイズホール」を持っているらしい、と羨望を持って囁かれていた。その話の出所は当時の合唱コンクール全国大会のパンフレット辺り。アカデミーの欄に「練習場所・塩沢ホール」と記されていた。これを見て色めき立ったのは練習場所の確保にも事欠く関係者。

ため息交じりでこう囁かれだした、

「この合唱団の団長は塩沢さんという方で、某企業のオーナー社長。社長さんの名前を冠した塩沢ホールというのがあって、そこを、この合唱団の専属ホールとして使っているらしい。」と‥

たいてい噂話というものは、無責任に面白おかしく脚色されたものが広がり、春の雪解けのようにいつしか消えていくというのが大半でしょうが、この話は今や流行言葉となった感のあるガセネタとは違い、話のひとつひとつは事実のはず。さらに、二十数年前と言えば、今やどこにでもある素晴らしきホールや、それに付帯する練習場など数少なく、あっても高嶺の花。大学の団体にしても学内のピアノのある部屋の確保に凌ぎを削り、専用練習ホールを持つと言われた関西学院大学グリー等の一部の恵まれた名門団体を羨ましがっていた時代。まして一般の合唱団となれば、資金的に恵まれた団体や教会などを常用できる団体以外は、公的な何とか会館やらコミュニティセンターやらの使用料が安くてピアノのある部屋の抽選に明け暮れていたはず、専用の「ホール」で練習できる環境を想像するだけで、皆我身と照らし合わせて何とも羨ましいとしか言えない気分になっていた。しかし‥、よくよく思い起こすと、「練習は土蔵の中」とか何とか書いてあったような気がしないでもなかったが、まぁ、当時他人を羨む話で盛り上がっていたときに、同じようなことを言っても、冷静な事実分析など邪魔なだけ。もしかしたら、「ホールが土蔵風とは、さすが善光寺さんのお膝元、何と情緒のある‥」てなことになっていたかもしれない。

件のパンフレットを思い起こすついでに(今手元に残っていなくて記憶だけなので、イマイチ正確性に欠くことをご了承願いたい)、神戸中央合唱団の欄には、確か某私立幼稚園を専用の練習会場とし、毎日曜日の何と半日近くを練習に充てていることも記されており、愕然としたような記憶が蘇ってくる。神戸中央合唱団と言えば、当時は京都エコー等と並んで全国大会金賞の常連だった。確か中村仁策先生という方が指揮をされ(どうして昔のことはよく覚えているのでしょう、今は、今朝、朝飯を食ったかどうかさえ覚えてないのに!)、この当時七十歳近い年齢になられていたように思う。全国大会会場ロビーでお見かけした折には、ご自分達の演奏を終えられ団員である奥様共々ソファーに佇んでおられた。お二人は、結果を待つ周囲の騒めきとは無縁の、また、気取ったサロンのようなものとも違う、何とも言えない上質な雰囲気を醸し出されており、直接面識があるわけではないのに、何かお二人は合唱団の枠や審査結果などという世俗を超えたある種の象徴のような存在に映った。後年の「ハーモニー」のコラムか何かにお二人のことに触れていたことがあり、同趣旨のことが書かれていたように記憶する。今なお瞼に焼き付いている光景である。(それにしても度重なる引越しなどで、楽譜や資料の大半を紛失したり処分してしまったことが今にして悔やまれマス。)

閑話休題、時は今、ではなくて、昭和の最末年から平成の始めあたり、長野に転勤になったのを期に憧れの塩沢ホールを訪ねようと意を決したまではよかったが、場所が分からず、時間のやり繰りもできなかったこともあって、しばらく塩沢ホール探しは頓挫していた。しかし、機会とは突然訪れるもの、何かの拍子で塩沢ホールに行った。(何の拍子かさっぱり思い出せず、誰と行ったのか、はたまた一人で行ったのかもわからず、最近ずっと悩んでいる。) そこで目の前に現れたのは‥‥、紛れもない塩沢ホール。「これが塩沢ホールか」と小さく呟いた。確かコールアカデミーの看板とともに少年少女合唱団の看板もあり、印象に残っている。中に入って‥‥「これが塩沢ホールなんだ」と、また独り語ちた。思えば、皆で羨み倒して数年が経っていた。予約の必要もなく、誰憚ることなく専用に使える拠点を有する合唱団、多くの団体から見れば贅沢な極みではある。

そしてまた時は過ぎ平成十八年、今の首都圏の練習会場はいかなることに相成っているか、トンと合唱とは縁がなくなってからその辺の状況にはイマイチ疎くなっているが、かつての仲間がいまだに頑張っている旧合唱団OMP、今は合唱団響の練習会場を見てみると、森下文化センターやら江東区文化センターやら砂町文化センターやら何とかスタジオやらあちこちで練習を行っている。これを見ただけで専用練習場があるというのはありがたいこと。昔一緒に羨ましがった仲間に、私自身が今その合唱団に入っていると言えば、何と言うだろうか、もっとも大半は音信不通で伝えようもないが‥

(この合唱団響というところ、栗友会(栗山文昭氏が指揮する団体で構成されている団体、故関屋晋氏の晋友会の向こうを張って作られた?)としての活動を含めると、昨年は新日本フィル等いくつかのプロのオーケストラの演奏会で、マーラーやら何やらを演奏し、東京カンタートやら何やらの出演、それにどこぞのホールの?落としやら泊りがけの演奏旅行やらのお座敷で、十回を越える演奏会をやってきたとのこと。同じ演奏を二週続けてということもあったようで、だいたい平均して月に一回程度の演奏をこなしている計算になる。君たちは一体いつ仕事しとるのかネ!と突っ込みたくなる話で、彼らのホームページで練習日程を見ても、確かに2月の一ヶ月間だけでも十七日間!も練習となっている。何じゃこれは、と叫びつつ、今回の塩沢ホールの話とは関係ないのでホームページを閉じて御仕舞い。)

「フランチャイズホール」に話を戻すと、日本には今二十三のオーケストラがある由。N響終身指揮者にしてメルボルン響終身桂冠指揮者であり、軽妙洒脱な文章をものする日本エッセイスト・クラブ賞受賞者でもある岩城宏之氏によれば、「準」がつくものを含めても「フランチャイズホール」を持つ国内のオーケストラはわずか4つ。新日本フィル、仙台フル、札幌交響楽団とオーケストラ・アンサンブル金沢だけというのが実態らしい。氏は著書の中で訴える。

「自分たちのホールの音響の中で、よいバランスを作り出し、そこにお客さんを入れてオーケストラ独自のサウンドを聞いてもらう。オーケストラにとって、フランチャイズホールは楽器なのである。演奏旅行にはホールは持っていけないが、フランチャイズで練り上げた音を持っていくのである。世界の一級のオーケストラはこうやって音を作ってきた。」

演奏会だけでなく、常日頃の練習もそこで行うというのがフランチャイズホールであるとのこと。わが国の文化行政はいかなることと相成っておるのか!責任者出て来い!民間企業はバブル華やかなりし頃、芸術文化支援「メセナ」がどうしたこうしたと言っていなかったか!「メセナ」はどこへ行った!と憤りを感じられる向きも多々おられることであろうが、精神衛生上よろしくないので、今回は「塩沢ホールはフランチャイズホール」という題名に免じて、この辺でご勘弁を。


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