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ヨハネ受難曲解説(前編)

続・ヨハネ受難曲解説


2013年12月
長野市民合唱団コールアカデミー  石坂幸一

「ヨハネ受難曲解説」(前編)では、バッハ・ヨハネ受難曲に書かれたヨハネ福音書の受難記事とイエスの時代背景を中心に説明しましたが、この続編では、より詳しく「コラールがなぜそこにあるのか?」を中心に解説しています。私達の練習で学んだ内容を公開します。


はじめに

 2013年10月公演の長野市民合唱団コールアカデミー・ヨハネ受難曲演奏会に向けて団員用に私が書いた「ヨハネ受難曲解説」は、主に聖書「ヨハネ福音書」のテキスト部分を中心に、物語の流れとその時代背景などをまとめたものです。
 私達の練習が進むにつれ、物語の流れの中で各コラールがどの様な意味を持つのか、言葉を変えれば「なぜこのコーラルが、ここにあるのか?」という疑問を持つようになりました。合唱団が、福音書に登場するローマ兵やユダヤ教指導者達の登場人物として「強い主張」をするのに対して、同じ合唱団が歌うコラールには、演奏者と会衆とが一体となってイエスの死や人となりについて「共感」をするという全く別の役割があります。コラールは、ちょうど教会の牧師が聖書を朗読し、その意味を会衆に説き「感じさせる」役割を担うことに似ています。
 まさしく、コラールが聴衆と共に何に共感しているかを感じ取ることは、物語の流れである聖書のテキスト理解と併せて最も大切なことになります。
 そこでこの「続・ヨハネ受難曲解説」では、各場面の中でコラールが「なぜそこにあるのか」という観点を中心に理解し、併せて「ヨハネ受難曲解説」で触れることが出来なかった部分を補足したいと思います。
 なおこの解説は、演奏会に先立つ練習の場面で私に役割が与えられて団員に説明した内容を基にし、さらに後半は時間不足で説明しきれなかった内容も含めてまとめたものです。
 解説の中に記載した曲の番号、小節数はベーレンライター版の楽譜に拠ります。


解説

第一部

第1曲 合唱 Herr, unser Herrscher
 第一曲目は歌劇で言えば序曲、映画で言えばタイトル・ロールのバックに流れるテーマ音楽のように重要な曲で、これから起こるイエスの受難の前触れ、予兆のようなものです。人々が「イエスを十字架につけよ!(Kreuzige!)」と叫ぶ、あの半音階がぶつかる不安な音をフルートとオーボエが醸し出します。
 しかしヨハネ受難曲の第一曲には、聖書のヨハネ福音書の特徴から来る背景があります。それは「これから起こること」よりも時間的に前の事、さらに天地創造の遙か昔にまで思いを馳せる壮大な特徴があります。その特徴を2点説明します。

(1)ヨハネ福音書第18章1節以前の出来事
 マタイ受難曲はマタイ伝(マタイによる福音書)26章1節から始まりイエス自身の十字架の予言、ナルドの香油をイエスに注ぐ女、ユダが裏切りを企て食事の席でイエスに見破られ出て行く場面、イエスのゲッセマネの祈り、捕縛...と続きますのである程度ストーリーの流れを追うことができます。
 ところがヨハネ受難曲はヨハネ伝18章1節のイエスが捕らわれる場面から唐突に始まります。
  実はヨハネ伝ではユダの裏切りの場面は13章に書かれていますが、14~17章は長いイエスの弟子たちへの訣別遺訓が収められていて、しかも17章の終わりと18章の第1節は内容的に繋がりが悪いのです。説によると第18章は第14章の最後から繋がるとも考えられています。このイエス捕縛までのあらすじを、バッハは13章から17章までの記事をかいつまんでテキストを書けば良かったかも知れませんが、当時のライプツィヒ市参事会は強い権限を持っていましたので、バッハが勝手に聖書のテキストを都合良く編集することを許すはずがありません。しかし当時の市民は、バッハがそうしなくても充分聖書を理解したはずです。
 バッハがマタイ受難曲よりも3年早くヨハネ受難曲を作曲した当時のライプツィヒ市では、丁度発達した印刷技術のお陰で市民の多くの家庭では既にドイツ語訳の聖書がかなり行き渡っていました。このヨハネ受難曲第1曲が終わり、第2曲目から聖書に書かれたイエス捕縛の場面が始まると、教会に集まった当時の会衆は直ぐに、イスカリオテのユダが最後の晩餐でイエスを裏切ろうとして夜の闇に出て行き、彼の情報によってイエスの居場所を知った人々がイエスを捕らえにやって来たという場面を想像できたのだと思います。
 ほかにペテロの否認の場面でも、バッハは聖書の詳細を聴衆が知っていることを前提に書いたと思われる部分があります(第12曲で説明します)。
 ですから、ヨハネ受難曲を聴いたり演奏する時は、その背景を知っていることが、マタイ受難曲以上に必要となります。日本ではヨハネ受難曲よりもマタイ受難曲の方がよく知られ人気があるのは、案外そんな所が原因しているのかも知れません。
 この第1曲を歌う時は、根っからの悪党ではなくイエスの教えに従って彼について来た優秀な会計係のユダが、私達にもよくある「気に入らない上司に叱られたことが原因でいやになる」というパターンでイエスを裏切ろうと夜の闇に飛び出していった事と、その闇夜のように先の見えない真っ暗なユダの心の内を思う必要があります。そうだからこそユダは、イエスが罪に定められた事を知り自殺してしまったのです。これは現代の我々の誰にもあり得る事なのです。イエスを三度も否定したペテロは、自分の弱さを嘆き絶望的な境地に立ちましたが思い返して、後にイエスの伝道者となりました。それに対してユダは短兵急な行動を取ってイエスを身売りし金を手に入れましたが、後悔して自殺してしまい歴史から消えました。ただそれだけの違いです。
 余談ですがユダは正統的ユダヤ地方のカリオテ村出身でエリートです。それに対してペテロも含め他の弟子たちは全て北方ガリラヤ地方の田舎の同郷出身者です。ですからユダは最初から弟子たちの間では馴染めずに孤立した存在でした。またユダは始めイエスの事を、政治力がありお金を集める力がありそうだと踏んでいました。しかし集金係ユダの仕事についてイエスが疑いを持ち始め、さらにイエスから公衆の面前で偽善をたしなめられた事で利用価値が無いと考え一気に自分の不満を合理化しようとしました。まるで週刊誌の記事のような日常的な話です。
 第1曲目はこのように、これから起こる場面の前の、立ち返るチャンスを失い後に引けないユダの緊迫した心情が含まれると考えて歌うと、第2曲目のエヴェンゲリストにうまく引き継げると思います。

(2)Herr(主よ)という呼びかけ(ヨハネ福音書の執筆背景)
 ヨハネ福音書の特徴から来る背景として、もう一つ理解しておきたい事があります。それは第1曲冒頭のHerr(主よ)という呼びかけが何であるかです。ヨハネ福音書が書かれた目的と、その背景が関係しています。

AD30年ごろ ユダヤ人の死刑権限がローマにより取り上げられる
AD32年ごろ イエスの死
イエスについての口伝
AD50年代~
 68年ごろ
マタイ、マルコ、ルカの共観福音書が書かれる
AD70年 ローマによるエルサレム神殿の破壊
AD85~95頃 ヨハネ伝が書かれる
(ヨハネ最晩年。ローマ帝国アジア州の州都エペソにて)


 イエスにまつわる出来事は、初め口伝されていましたがAD50~68年頃にかけてマタイ、マルコ、ルカの3つの福音書が書かれました。この3つの福音書は共通の源資料を基に書かれ共観福音書と言います。
 その後大事件が起きます。AD70年にローマ帝国によりユダヤ人の宗教・精神活動の中心であったエルサレム神殿が破壊され、ユダヤ教の指導者達百万人以上が殺害されたと言います。これによりユダヤの民は離散し、実質的にユダヤ教は無くなったも同然になります。このAD70年を境にして文字の書体まで変わってしまったので、この前後の書物はいつ書かれたものかはっきり分かるそうです。
 そのあとイエスの弟子たちの中で最後までイエスの十字架を見届けた使徒ヨハネが、AD85~95年ごろヨハネ伝を書いたと考えられています。ヨハネ伝の著者については諸説ありますが、使徒ヨハネが書いたと考えるのが最も自然です。
 書かれた場所は、当然ユダヤ教の中心地エルサレムではありません。ヨハネが逃れた先、今のトルコ・イスタンブール近くのローマ帝国アジア州の州都エペソというギリシャ文明の影響下にある町です。既にユダヤ教指導者層は居なくなっており、逃れた先で書くのですからユダヤ教のパリサイ派もサドカイ派も関係なくなっておりローマとの関係だけが重要な環境になっています。
 ヨハネ伝は他の共観福音書と重複する記事は避け、共観福音書を補う内容が書かれています。では、ヨハネはどんな目的でこれを書いたのでしょうか?ヨハネ伝が書かれたのはAD90年前後ですから、AD32年頃のイエスの死から約60年後です。イエスの十字架に立ち会ったヨハネが30歳代だったとすると、ヨハネ伝を書いたのは90歳代ということになります。実際十二弟子はヨハネを除き全て刑死していて、天寿を全うしたのは使徒ヨハネだけです。その老人ヨハネが何故この情熱に溢れる書物を著したのでしょうか?
 その頃各地に散った少数の初代キリスト教徒の中から、グノーシス派(グノーシスとはギリシャ語で「知識」を表す)と呼ばれる異端宗教が出てきていました。彼らは「イエスは神ではない」と知識・理論でイエスを理解しようとする派で、既にキリスト教が風化しかかっていたのです。そこでヨハネは、その様な教えに惑わされないように初代キリスト教の人々あてに、最後の力を振り絞り生き証人としてこのヨハネ伝を書いたのです。
 それはエペソというギリシャ文明下の遠い地でギリシャ哲学の影響を受け、さらにイエスが語った言葉をヨハネなりに理解して、非常に整理された内容で書かれています。ヨハネ伝が「聖書中の聖書」と言われる所以はここにあります。共観福音書のような口伝の資料を集めたものではなく、イエスは神の子であることと十字架の意味を伝える明確な意志を以て、全世界に向けて書かれています。
 マタイ受難曲には「群衆」という言葉がよく出てきますが、ヨハネ受難曲には「群衆」という言葉が出て来ないことにお気づきの方も多いと思います。ヨハネ受難曲は登場人物が誰かがはっきり書かれていて、「群衆」という属性が不明の集合はありません。その代わり「ユダヤ人達は」という表現がたくさん出てきます。これは人種としてのユダヤ人を指すのではなく、祭司長やパリサイ派、サドカイ派などのユダヤ教指導者達をひっくるめて指しています。つまりヨハネは「ヨハネによる福音書」をユダヤ人の立場ではなく、一歩外の世界から見ている事を表しています。ユダヤ人社会を超えた、全世界に向かって書いているのです。

ヨハネ伝第1章1節「初めにことばがあった」
 マタイによる福音書第1章1節は、あの「誰々は、誰々の父。....」というイエス誕生に至るまでの長い系図ではじまります。これは約束の救世主はユダ族から出るという旧約聖書の記述に照らして、イエスの救世主としての血筋の正統性を主張するためです。要するにユダヤ人の中での常識からイエスを捉え、ユダヤ人の救世主であることを表現しています。
 それに対してヨハネによる福音書第1章1節は、ユダヤ人の立場ではなく、ギリシャ文明の広い世界に立って、イエスを全世界の救世主と捉え「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。」という書き出しで始まり、イエスが天地創造の時から居たことを表しています。
 「初めにことばがあった。」はドイツ語の聖書では「Im Anfang war das Wort.」です。この書き出しは明らかに旧約聖書創世記第1章1節の「はじめに神は天と地とを創造された。Im Anfang schuf Gott den Himmel und die Erde.」という文を意識して書かれています。
  じつはこのヨハネ伝の書き出しにある「ことば(Wort)」は、原典のギリシャ語聖書では「ロゴス」と書かれていて私達が話す「言葉」とは全く違う意味を持っています。これを「ことば」と訳した最初の人はウルフィラ(Wulfila 311-383)というゲルマンのゴート族の人(今のルーマニア生まれ)で、彼は当時文字を持たなかったゲルマン民族のために、自らゴート文字を創案して辞書も無いのにギリシャ語から新旧約両聖書を訳しました。自分でヤギを飼い、皮をなめして鍋の裏底から墨を採って聖書全巻を訳すという、驚くべき大偉業を一生涯をかけて成し遂げたのです。
 そのウルフィラがギリシャ語のロゴスを訳す時、どうしても訳せず「ことば」と訳したのが世界の聖書のもとになっています。この「ロゴス」はヘレニズム文化であるギリシャ哲学の用語で、確かにひと言で訳す言葉はありません。それは「宇宙を支配する基本原理」というような意味です。ユダヤ人は創世記で「神は天と地とを創造された」と考えたように、ギリシャ人は「ロゴスは全てを創った神の力であり、自然は神そのものである。」と考えました。
 そしてギリシャ文明の影響を受けたヨハネは、このロゴスを神の命=イエスと考え、混沌とした無から天地万物を生み出した(schaffen創造する)神と共にイエスは既に居て、その神の一人子イエスを地上に使わしたと考えました。
 「ロゴス」をその様に捉えるとヨハネ伝1章1節は「はじめにロゴスがあった。ロゴスは神と共にあった。ロゴスは神であった。このロゴスは初めに神と共にあった。全てのものは、これによってできた。」という表現になります。このようにヨハネ福音書は文学作品であると同時に深遠な哲学書でもあります。
  ヨハネ受難曲の第1曲初めにある「Herr! (主よ!)」という言葉を歌う時は、以上のことをイメージして歌うとヨハネ伝の基本姿勢から来るヨハネ受難曲の深遠さが聴衆に伝わると思います。「主よ、私達を支配される方よ、その栄光は全ての土地に輝いています。私達に示してください、受難を通してあなた、真の神の子が、低い辱めの極みの時でさえ栄光を与えられたことを。」

第2曲聖書場面
 イエスと弟子たちがよく集まっていた園を知っているユダが、大祭司達とローマ兵の部隊を引き連れ、灯りや武器を持ってやって来ました。イエスが威厳をもって「誰を捜しているのか?」と聞かれたことに対して、彼らは「ナザレ人イエスを!」と答えます。「イエス」という名前は実はありふれた名前で、「ナザレ村」という名も無い村出身の男で、しかもナザレではあまり受け入れられなかった人という意味が込められています。
 たった一人の丸腰の男を、何百人もの武器を持った男達が夜中にエルサレムの城塞から細い坂道を下って捕らえに来るのですから、彼らの意気込みや興奮・緊張は尋常では無かったでしょう。その緊張感が“Jesum!“の前の休符に込められています。
 ここで、大祭司連はローマ総督に訴えてローマの兵を動員しましたが、人々が捜していたイエスのイメージは、ローマ兵達とユダヤ教指導者達とで大きく違います。ローマ兵達はローマに反抗する政治的革命指導者イエスを捜し、対するユダヤ教指導者達は最近民衆の間で人気を集めている神を冒涜するニセ預言者イエスを捜していました。
 合唱団は彼らの2つの思わくを同時に演じます。
 イエスを売ったユダは、追っ手の側に立っています。イエスが「それは私だ」と神である宣言をすると、人々は圧倒されて後ずさりしながら地に倒れます。27小節3拍目裏の wichen sie zurükke の -ke の音D♭が、いかにも後ずさりして後ろに倒れそうな不安定な音で面白いです。
 イエスは「私を捜しているのなら、この弟子たちは行かせて欲しい(手を付けるな)。」と神から与えられた弟子たちを守ろうとしました。

第3曲コラール O große Lieb
 おお、計ることが出来ない程の深い愛よ、その愛があなたを拷問の道端へと連れ出した、とイエスの弟子たちへの深い愛を歌います。
 私はこの世の楽しみと喜びを味わいました、そして(その一方で)あなたはひどい目に遭わされます。10小節の mußt (müssen) は外からの強要を表します(「余儀なくされました」)。

第4曲聖書場面
 この出来事は、以前イエスが言われた「あなた(神)が私に下さった者のうち誰一人をも滅ぼしませんでした」という言葉が成就した、と弟子たちが無事であった理由を聖句が説明します。シモン・ペテロは持っていた剣を抜きます。6小節 und zog es aus の上昇音型がいかにもゾゾッと鞘から刀を抜く音がしそうです。そして8小節で勢いよく刀を振り降ろし大祭司の下男に斬り掛かって右耳を切り落としてしまいます。und hieb ihm sein recht Ohr ab; の音型が切り落とす(abhauen)音です。
 イエスはペテロに対して「剣を鞘に収めなさい。これは父が与えて下さった杯だから飲むべきではないか」と無駄な抵抗を制します。12小節でイエスが言う Soll ich のsollen は他人(この場合神)から受ける命令に従うべき、義務がある、~すべきという意味を表し、神の意志に従うべきだという意味です。ここにキリスト教の真髄があります。
 神社仏閣で人々は家族安寧、商売繁盛、健康で居られるようにと祈ります。つまり御利益を願いますが、キリストを信ずる人は勿論平穏無事であることを願いますが根本的に違うのは「神様の御心の通りに従います」と祈ります。健康の時も病の時も、それは神様が与えてくださったものだから従います、と作られた像や社の前でなく食卓でも書斎でも祈ります。様々な苦難も人知では計り知ることが出来ない神様のご計画、神様の意志と考えます。

第5曲コラール Dein Will gescheh, Herr Gott, zugleich
 それを受けて第1小節にある Dein Will が「神様の意志」で、主なる神よ、あなたの意志が実現しますように、地上でも、天国でも、とコラールが歌います。
 8~9小節の wehr und steur は、血と肉と(生身の体)を妨げ、水先案内をしてくださいという意味で、最後の das wider(敵対して、逆らって) deinen Willen tut! は「それがあなたの意志に反するならば」となり、神の意志に従うという言葉が強調されます。

第6曲聖書場面
 千卒長と下役らはイエスを縛り(4小節 bunden ihn)、その年の大祭司カヤパのしゅうとである大祭司アンナスの所に連れて行きます。アンナスはカヤパの舅であり大祭司を引退していましたが、まだ隠然と力を持っていましたのでアンナスのもとへ連行したものです。ここで、カヤパは以前「一人の人がユダヤの民に代わり死ぬことは良いことだ」と言った人であることが告げられます。

第7曲アリア(アルト)
 この縛る(bunden)をキーワードにして、私の罪から私を解こう(entbinden)として、私の救い主は縛られた(gebunden)と歌います。私を悪の病から癒すために、彼は傷つけられた(verwunden)、のgebunden とverwunden が韻を踏んでいます。
 「一人の人が死ぬことは民にとって良いことだ」と言ったカヤパの言葉が、予告通りになりつつあり、民の身代わりになるイエスの定めを思わせる旋律です。

第8曲聖書場面
 シモン・ペテロはイエスについて行った(folgete Jesu nach)。もう一人の弟子(ヨハネ)も、同じくそうした。

第9曲アリア(ソプラノ)
 「ついて行く folgen」を受けて、Ich folge dir mit freudigen Schritten.「私は喜ばしい足取りで、あなたについて行きます。」と歌います。私の命、私の光よ、あなたに離れずついて行きます、とイエスに付き従うことを明るく楽しげに表現します。
 この19小節にあるfreudigen Schritten(喜ばしい足取り) という音型を私は「ユダヤの王様のテーマ」と名付けています。第21曲で登場する、ローマ兵達がイエスをなぶる時に言った「ユダヤの王様ごきげんよう!」“lieber Jüdenkönig“ と同じ音型なのです。
 この「ユダヤの王様」という言葉はとても重要なキーワードで、この意味を理解するとヨハネ受難曲がとても分かり易くなります。詳しくは第26曲で説明します。イエス誕生の物語に、イエスの誕生を祝いに来た東方の博士達が「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか?東の方で、その星を見たので拝みに来たのです。」という場面があります。当時人々はユダヤ人を解放してくれる救世主を「ユダヤ人の王」と呼び、待ち望んでいたのです。
 バッハはここの「喜ばしい足取りで」という音符に、私達を支配する「ユダヤの王」に従いますという隠れメッセージを埋め込みました。

第10曲聖書場面
 弟子ヨハネはもともとガリラヤ地方の漁師でしたが、エルサレムにも家を持ち人脈がありました。元大祭司のアンナスとも知り合いだったのでイエスと一緒にアンナス邸の中庭に入りました。ペテロはイエスの安否を気に掛け中の様子を知ろうと思いましたが、身の危険を感じて門の外に立っていました。そこでヨハネは門番の女に話を付けてペテロを中に入れてあげました。
 アンナスはイエスの宗教活動について尋問しましたが、イエスが「そのことは私の話を聞いた者に尋ねよ」と答えたので下役の一人がイエスを平手打ちしました。イエスは「私が間違っていないなら、なぜ私を打つのか? Was schlägest du mich?」と言いました。

第11曲コラール Wer hat dich so geschlagen
 このschlägest(打つ)を受けて、「誰があなたを、かくも打つ(geschlagen)のですか?」とコラールが応えます。このschlagen(打つ)という言葉は蕎麦を打つようにただ叩くのではなく、相手を傷つけようとする意図を持って打つ、殴るという強い言葉です。1番の歌詞で「私達や、私達の子供らと違って、あなたは悪事など知らない方なのに、誰がこんなに責め苦を負わせるのですか?」と問いかけ、2番がその答となっていて「私です。私と海の砂粒のように多い私の罪があなたを叩く(das dich shläget)悲惨さと拷問を生むのです。」と答えます。聖書に書かれたイエスが打たれる場面を通して、イエスを苦しめるのは私達自身が神を知ろうとしないからです、という聴衆の今に向けた牧師のメッセージのようなコラールが、合唱団と聴衆とを共感に導きます。
 この2番の歌詞の部分は、様々なCD録音を比較して聞くと、フォルテで「それは私です」と胸を叩くように大きく表現したものと、静かに心の底から歌うものの二種類に分かれます。私は後者の方が個人的には好きです。
 今年の6月、ドイツ・ライプツィヒのバッハ音楽祭でJ.E.ガーディナー指揮、モンテヴェルディ合唱団のヨハネ受難曲をどうしても聴きたくなり、そのためだけに個人でチケットをネット購入してライプツィヒ・トーマス教会で聴いてきました。geschlagenの不協和音と2番の静かな部分が、この世のものとは思えぬ程美しく感じました。

第12曲聖書場面
 アンナスはイエスを縛ったまま、婿のカヤパ(その年の大祭司)の所に送ります。ペテロはまだ炭火にあたっています。アンナスとカヤパの屋敷は同じ門と塀に囲まれ、中庭は同じだったのでしょう。ヨハネ伝はイエスがカヤパ邸でどんな扱いを受けたかについては、何も語っていません。
 祭司長や下役らは中庭のペテロに向かって口々に「お前も、あいつの弟子の一人ではないのか?」と言います。この「弟子の一人(einer)」という部分がeiner... einer. einer.. と間隔が一定のリズムではなく、しかもあちこちのパートから聞こえて来る所が、大勢の人が口々に問い正している様子が出ています。
 ペテロは打ち消しますが「私は見たぞ」と言う者が居り、またペテロが否定すると直ぐさま鶏が鳴きます。ヨハネ伝の記述はこれだけです。
 バッハはここに劇的な効果を加え、続く第13曲でペテロの嘆きを入れようと考え、マタイ伝26章75節から「ペテロはイエスの言葉を思い出し、外に出てさめざめと泣いた。」という一節を挿入しました。しかし、折角マタイ伝から引用しましたが、実はマタイ伝には「『鶏が三度鳴く前に、三度私を知らないと言うであろう』と言われたイエスの言葉を思い出し」と書かれているのに、バッハは『鶏が三度鳴く前に、三度私を知らないと言うであろう』と言われた-という部分を省略しました。これは第1曲(1)で既に述べたように、当時のライプツィヒの教会に集まる人々は聖書に馴染んでいて、「ペテロが思い出したイエスの言葉」が何かを説明する必要も無く、音楽の流れからバッハは短縮したテキストを使ったのだと思います。
 33小節からのadagioにペテロが泣く(weinete bitterlich)場面が書かれていますが、バッハの旋律はさめざめと泣くペテロの後悔と動揺をよく表しています。

第13曲アリア(テノール)
 この歌は、ペテロの自らの弱さに対する絶望の表出です。
武器を持った大勢の兵士の前で、イエスを守ろうと剣を振り回し他人の耳を切り落としてしまった直情型ペテロ。その愚かな狼狽が災いして、耳を切られた人の親族がペテロを問いつめ、逃れ難い状況にしました。イエスの為なら命をも捨てますと言った筈のペテロが、身の安全の為に簡単に三度もイエスを否認してしまった。しかも鶏が鳴いてからイエスが言った言葉を思い出す恥知らずで不甲斐ない自分を嘆き、「私の心よ、お前はどこへ行こうとするのか?どこで安らごうとするのか?」と後悔の念を吐露します。
 49小節以降に oder wünsch ich mir Berg und Hügel auf den Rükken, (あるいは、この背中に山と丘が落ちかかることを願うべきか?)という分かりにくい表現があります。これは旧約聖書ホセア書第10章8節にある、預言者ホセアの身の置き所も無い死ぬほどの絶望表現の引用で、余りに自分の罪が重くて絶望するペテロの気持ちを表しています。この表現はイエス自身もホセア書から引用したことが新約聖書ルカ伝23章30節に書かれています。
 この苦しみの原因は、81小節以降で weil der Knecht den Herrn verleugnet hat. (僕の身で主を否定したからだ)と歌われています。このverleugnen(否認する)がキーワードになって第一部最後のコラールへと導かれます。

第14曲コラール Petrus, der nicht denkt zurück
 主を否定したペテロの後悔と、絶望の後に来るイエスの優しい許しの眼差しを歌うP.シュトックマンの受難節コラールの一節です。前の曲のverleugnen(否認する)を受けて「ペテロは主を思い返さず、彼の神を否定した(verneinet)。」と歌います。そして「主の厳しい眼差し(ernsten Blick)に合って、さめざめと泣いた。」と続きます。ルカ伝22章61節には「主は振り向いてペテロを見つめられた」と記されていてイエスがペテロに厳しい表情を見せたことが記されています。
 第9小節以降は切り替わって、「イエス様、私をも向いてください(Jesu, blikke mich auch an, 分離動詞anblicken注視する)。」「もし私が悔い改めない時、悪しき事をした時は、私の良心を揺り動かしてください(rühren=体の一部を揺り動かす)。」
 イエスの厳しい眼差しと合わせて、ペテロや私達を許す優しい眼差しを感じさせる明るい希望のある調べで第一部は終わります。実はこのコラールは第28曲の、イエスが十字架の上から母や弟子に優しく語りかける場面と、第32曲バス・アリアの問い掛けに対するイエスの答えのような場面にも登場します。
 ここで第一部は終わりますが、イエス捕縛の緊迫した場面とペテロの否認・後悔と、ここまででも充分な感動があります。


第二部

第15曲コラールChristus, der uns selig macht
 「天国の至福を与えてくだるキリストは、何も悪いことはされないのに/私達の為に夜、盗人として捕らえられ/神を認めぬ者らの前に引き出されて、偽りの告発を受け/嘲られ、辱められ、唾を吐き掛けられた。しかしそれは聖書に預言された事なのだ。」と第一部を振り返ります。
 ここで最後の die Schrift は聖書の事を指しますが、新約聖書に書かれている「聖書」という言葉は全て旧約聖書を指します。旧約聖書・詩篇第22編1節には「我が神、我が神。なぜ私を捨てられるのですか。」と書かれており、イザヤ書53章3節には「彼は侮られ、人に捨てられた。悲しみの人で病を知っていた(ヘンデル・メサイアの一節 He was despised.で有名)。」などと預言されています。

第16曲聖書場面
 人々は明け方になってイエスをカヤパの所からローマ総督ピラトの官舎に連れて行きます。第一部はユダヤ人の中での宗教裁判でしたが、第二部はローマ帝国による政治裁判です。イエスを、ローマに抵抗する政治犯として処刑してもらうことを思いついたユダヤ人達が企てたのです。
 しかしピラトはユダヤ人達に向かって「何の廉でこの男を告訴するのか?」と聞きます。実はローマの法廷では、まず証人の提訴があって初めて裁判が開始される決まりだったのですが証人が居ない状態です。ユダヤ人の祭司長達にとって、イエスを裏切ったイスカリオテのユダを証人に立てるのが最も都合が良かったのですが、そのユダが自殺してしまったので証人不在で提訴理由が無い状態のためピラトはこの様に聞いたのです。
 16c:ピラトは、この一件をユダヤ人同士の問題と察し「この男を引き取って、お前達の法律で裁きなさい」と言った所、ユダヤ人達は間髪を入れずに(休符が半分の八分休符です)前のめりになって本音を言い「我々には人を死刑にする権限は無い」と答えます。政治犯としての罪状も不明のまま「死刑にしてください!」と言っているのです。
 ユダヤ人に死刑の権限が無いというのは正しく、AD70年ユダヤ神殿の崩壊(第1曲(1)の年表参照)の40年前すなわちAD30年に、ユダヤ人は死刑の権限をローマに取り上げられていました。イエスの十字架の約2年前です。その理由は、ローマの属州の民がローマに反逆するとこうなるのだぞという見せしめのために、ローマは残忍な十字架刑を用意したのです。ローマへの反逆者は十字架に貼り付けされ、さらし者にされたまま数日間苦しみます。反対にローマの市民権を持った者は、どんな重罪人でも十字架刑にだけはされませんでした。
 ですから、ユダヤ人がローマの法廷で死刑を宣告されることは、十字架に掛けられることを意味していました。ユダヤ人達の「我々には人を死刑にする権限は無い」というローマ法廷での主張は、「この男を十字架で処刑して欲しい」という意味なのです。
 続く第16曲eでエヴァンゲリストが言う「このことは、イエスが自分がどんな死に方で死なねばならぬかを暗示して言われた言葉が成就するためであった。」という解説は、その事を意味しています。イエスはかねて「私は地から上げられる」と十字架で死ぬ定めを暗示していました。
 ピラトはイエスに「お前はユダヤ人の王なのか?」と聞くと、イエスは「あなたは自分の考えからそう言うのか、それとも誰か他の人が私の事をそう言ったのか?」と逆質問します。このイエスの言う意味は「その質問はローマ人の立場か、それともユダヤ人の立場か?」、詳しく言うと「王とはローマ皇帝と対立する抵抗の指導者の事を指しているのか、それともユダヤ人の救世主のことを言っているのか?」という意味です。ですからピラトは「私はユダヤ人か?お前達同胞の問題だ。いったい何をしたのだ?」と答えました。第9曲でも説明した「ユダヤ人の王」という言葉は、大切なキーワードです。
 74小節以降のイエスの答に「mein Reich(私の国・領)」という、もう一つの重要なキーワードが登場します。イエスは「私の国は、ローマ帝国に取って替わるような権力の国ではない。私の国(神の国)は、この世のものではない。」と答え、ピラトの質問には直接答えずに権力・武力によるこの世の支配を目指すのではなく、私は神の国の王であるという宣言をしています。

第17曲コラール Ach großer König
 そこで登場する「おお、偉大なる王よ」の王とは、言うまでもなくこの世の権力の王ではなく、代々限りなく偉大な神の国の王を指します。このフレーズは第3曲コラールの「おお、大いなる愛よ」に対応します。

第18曲聖書場面
 ピラトは「では、やはりお前は王ではないか?」と聞きます。イエスの答えは「あなたの言う通り、私は王である。」となっていますが、イエスの言う王権は法的権威による国家権力のように人民を支配する権利ではなく、神の真理を証言し、そこに内在する神の権威に基づいて人の心を支配する王権の事を言っています。イエスはユダヤ国の王ではなく、ユダヤ人民の魂の王であることを言っているのです。
 ピラトは「真理とは何か?」と聞きますが、最終的にそれ以上答えを求めていません。心理的に追い詰められて気もそぞろになっています。そして「私はあの人には何の罪も認められない」とローマへの覇権を争う反逆者でない事を宣言しますが、ここでユダヤ人達にトリッキーな提案をします。過越祭恩赦の習慣を利用してイエスの特赦を提示したのです。
 イエスを形式的にいったん有罪にした上で特赦すれば、ユダヤ人のメンツも立ち、イエスを釈放することで悶着を収めようとした政治的な駆け引きに出たのです。ピラトはローマから見れば出先機関の長、言ってみれば中間管理職です。ピラトは、ユダヤ人との間で悶着を起こしてその管理者能力をローマから問われ失脚することを恐れたのです。「ユダヤ人の暴動を恐れた」という解説が時々ありますが、ローマの兵力からすれば政治力・武力の無い宗教指導者達が何人居ようが問題ではありません。強いて言えば暴動により、管理者失格でローマによって自分が首を切られる(本当に殺される)ことを恐れたのです。実際ピラトはこの事件後何年かして失脚し、殺害されたか自殺しています。
 ピラトの駆け引きは失敗します。世の常で、問題に直面した時に正面から当たらずに姑息な手を打つと、事態は必ず悪化します。ユダヤ人達は再び、全員揃って叫びました(Da schrieen sie wieder allesamt und sprachen:)。
 「その男ではない、バラバを!」。イエスという名前はありふれた名前で、バラバの名前もイエスと言いました。ナザレ・イエスではなく、バラバ・イエスを赦せと、人々は神の子イエスではなく強盗のかしらバラバを選びました。
 するとピラトは次の手として、ユダヤ人を納得させるために、イエスを死なない程度に鞭打った後に釈放しようとしました。とは言ってもローマ兵の鞭は馬や牛を打つ鞭とは違い先端に鋭いカギがたくさん付いた凶器で、一度打たれただけで皮膚が剥がれて血が噴き出します。

第19曲アリオーソ(バス)
 緊迫したやり取りが続いた後、音楽は一転して静まり、「血に染まったイエスの背中を見よ、その苦痛の中にある天国を見よ、そこから甘い果実をもぎ取れるのだ。だから絶え間なくイエスを見よ。」と、この正視に耐えない虐げ、第1曲にある「低さの極み」の中に、神の独り子イエスを罪人バラバの代わりに拷問する人間の罪深さを見なさい、と語りかけます。

第20曲アリア(テノール
 同じくテノールが「思いはかれ。イエスの血に染まった背中は天のように尊いことを。」と歌います。前曲がbetrachte(熟視せよ、目を向けよ)と言っているのに対して、この曲は erwäge(熟考せよ、思いを致せ)と言っています。
 この曲はバッハの第4稿(1749年)では「Mein Jesu, ach! Dein schmerzhaft bitter Leiden(私のイエスよ、ああ、その苦痛に満ちた悲痛な忍耐は)」という全く別の詩になっていますが、これが案外良い詩で、ライプツィヒのトーマス教会で聴いた時は、この曲の間中演奏者の音楽と聴衆の視線とが正面の簡素な十字架に注がれていて、そのラインが一点に集中するさまが見えたような気がしました。

第21曲聖書場面
  21b:兵士たち(合唱団)はイエスに茨の冠を被せ、王など高貴な人の着る紫の上着(Kleid)を着せて口々に言います。「ようこそ、ご挨拶します。ユダヤ人の王様」。これはローマ兵が、ローマの皇帝に捧げる歓呼になぞらえて、イエスを侮辱したものです。この時合唱団が歌う「ユダヤ人の王様」のテーマ“lieber Jüden König”は、国の権力者としての王様を意味していて、囚われの身で虐げられたイエスを侮辱すると同時に、お前達ユダヤ人の王は何の力も無くこんな惨めな王なのか、とユダヤ人をも侮辱しています。
  21c:ピラトは官舎の外へ出て行って「見よ、あの人をお前達の前へ引き出す。あの人には何の咎も無いことが分かるであろう。」とユダヤ人達に言います。そこに、イエスが茨の冠と紫の上着を身につけさせられて出て来ました。ローマの勝利者が被る美しい月桂樹の葉の冠ではなくトゲの冠を被り、高貴の人の着物に似せて紫の上着を着せられ、世の栄華の象徴とは正反対の姿で現れました。
 ピラトは「この人を見よ(これが、その人だ)!」と言います。ピラトは無惨な姿になり果てたイエスを見せることによって「この位でひとつ終わりにしたらどうだ?」と釈放の同意を求めようとしましたが、同時にこの言葉には隠れたもう一つの意味があります。
 ヨハネ伝には、神の子イエスの十字架は神の計画の下にあり、当事者達が無意識のうちにこの歴史の必然を辿っているのだ、という考え方が背景にあります。ピラトの「この人を見よ」という言葉は、本人が意図せずに「この高貴なお方を見なさい!」と神の子が人類の咎を背負おうとしている姿を宣言しているのです。だからこそ「この人を見よ!(Ecce Homo)」という言葉が有名な言葉として、絵画など芸術のテーマとして用いられるのです。
 21d、21e、21f:ピラトの表向きの意図は「こんな哀れな男が、政治的に危険な人物である筈がないではないか?」と言う目論見でしたが、またしても誤算でユダヤ人達は「十字架につけろ!」と叫びます。合唱団各パートから、Kreuzige! Kreuzige! と騒ぎ立てている声が聞こえます。
 ピラトが「(もしそうしたければ)お前達がこの人を引き取って十字架にしたらどうか。この男に咎は認められない。」と言うと、ユダヤ人達は「我々には律法があり、それに拠れば当然死刑です。なぜなら彼は神の子と自称したからです。」とイエスを殺そうとする本当の理由を言いました。政治犯としての訴えは認められなかったからです。
 この様に結論が先にあって理由を後から付ける、という事は私達の日常生活でも、政治の世界でもよくあることです。法案の審議以前に可決の方向性を固めておきながら、公聴会を開いて国民の意を汲んだ形式を取るお芝居も同じですね。私達が生まれながらにしてこの知恵を身につけていることは、子供の要求を聞くと分かります。「何々ちゃんも、みーんな持ってるよ」と。
 ユダヤ人達の要求を合唱団が歌う時は、「なぜなら」の“denn”を強調すると良いと思います。
 もともとイエスが「神の子を自称した」と言う事実だけなら、ユダヤ人だけの宗教裁判で少なくとも「石打の刑」で実質的に死刑にすることはできました。しかしイエスの人気に対する妬み・嫉みと、その人気のイエスを宗教指導者達が抹殺したとすれが民衆の反感を買うであろうから、ローマの力を借りて裁判に持ち込み、実効性のある十字架で確実に殺そうという計画でしたからこの様な矛盾が起きました。
 21g:ピラトはユダヤ人達の「神の子を自称した」という言葉に引っかかりを覚えました。「もしかしたら、自分は本当に神の子を裁こうとしているのかも知れない」と薄気味悪く感じて「お前は、いったいどこから来たのか?」と恐る恐る聞きます。しかしイエスは何も答えないので「自分はローマ皇帝の代理人であるぞ!私と口を利かないのか!」と生殺与奪の権限を握る権力者である事を振りかざして、内心の恐怖感を隠しました。
 それに対するイエスの答えは甚だ明確なものです。イエスは「その権力の後ろ盾はどこから来るのか?上から(神から)与えられた力でなければ、私に対しては何の権力もない。」と答えますが、これは重大な宣言です。ピラトの権力はローマの法律により付与されたもので、それに従いローマの出先機関の責任者として仕事を全うしようとしているが、その仕事が、ローマより上の神の真理によるもので無ければ何の意味も無い、と言っています。私達は会社員、公務員などそれぞれの職業、組織や地域の中で、組織や地域の法律・ルール(または常識)や上司から与えられた権限の中で働きますが、その囲みの中での働きは神様が喜ぶ結果になっているか?自分の名誉や権勢欲の為ではないのか?という重要な問いかけです。
 そしてイエスは「それゆえに私を売った者の罪はより重い。」と言いました。この「私を売った者」は一義的にはユダを指しますが、男性・単数を表すder という指示代名詞を使って人間一般を指しています。(102小節以降)「より重い罪(größre Sünde)」の罪というキーワードが次のコラールに繋がります。人はユダと同じように、より重い罪を背負った罪の奴隷である、と解釈するべきと思います。
 このあとの聖書の句は「このためピラトはイエスを赦そうと思ったが、ユダヤ人が叫んだ、『この男を赦せばあなたは皇帝の忠臣ではない...』」と続きますが、実はバッハは「このためピラトはイエスを赦そうと思った」でいったん中断して、次のコラールを挿入しているので「赦そうと思った」ことが結論のように聞こえます。また最後106小節のコーダがとても優しい響きなので、ピラトが憐憫の情でイエスを赦そうと思ったようにも聞こえます。しかしピラトが赦そうと思ったのは人情からではなく、イエスが神の子であるかも知れないという恐れと、自分の政治権力はローマから一時的に付与されたもので、この地で失脚すれば殺害されるかもしれない、という二重の恐れに支配されていました。

第22曲コラール Durch dein Gefängnis, Gottes Sohn
 このコラールが位置的にヨハネ受難曲の中心であり、内容的にもキリスト教の中心テーマです。全ての人はイエスを売り渡した者であり、イエスが奴隷とならなければ、私達は永遠に罪の奴隷であったでしょう、という内容で、前の曲でイエスが言った「私を引き渡した者の罪」という言葉がこのコラールにつながります。
 「あなたの投獄を通してこそ、神の子よ、私達に自由が臨んだのです(Durch dein Gefängnis, Gottes Sohn, muß uns die Freiheit kommen;)。」kommen と Frommenが韻を踏んでいて、「あなたが奴隷とならなければ、私達は永遠に(罪の)奴隷(Knechtschaft)であったことでしょう。」と結んでいます。

第23曲聖書場面
 23b:ユダヤ人は叫んで言います、「もしもこの男を赦すような事があれば、あなたはカイザルの友ではない。なぜなら(denn)自分を王とする者は誰でもカイザルの敵である」。この曲は旋律も、「~, denn ~」という構文も、21fと同じです。自分を王とする者を釈放すれば皇帝の上に立つ者を認めることになる、だからあなた(ピラト)は皇帝の敵である、と「ローマから首を切られるぞ!」と巧みに脅します。
 23c:ピラトは自身の保身のために、心を決してイエスを引き連れ裁判の席に着きます。ピラトはイエスの神的権威に対する恐怖と、自身がローマ帝国に対する反逆罪に問われる恐怖の二つに屈して、「見よこれがお前達の王様だ!」と投げ出しました。それは過ぎ越し祭り支度日の昼12時頃です。41小節のテキストに um die sechste Stunde(6時)とありますが、当時のユダヤ時間は日の出から日没までを「昼」として、それを12の時刻に分けていましたから、6時は今の昼12時頃に当たります。
 23d:葬り去れ!(Weg, weg!)、彼を片付けろ、十字架だ!と祭司長達の興奮が高まり、より強い主張になります(ihn! 「彼を!」が付きます)。
 23e:ピラト「お前達の王様を、私が十字架につけるべきなのか?」
 23f:ユダヤ人の祭司長達はピラトに対する最後の殺し文句を言います。「私達には、カイザルのほかに王は居ない。」ローマの権力に従うことを忌み嫌っていたユダヤ人達は、ヤハウェの神に対する忠誠心を捨てて、この世の権威カイザルを王として掲げました。自分たちの立場を放棄して、神ではなく、地上の王に従う姿をヨハネは書きました。ヨハネが表現しようとしたこの姿は、何が本当に大切かよりも、取りあえずのメシの種、景気が良いことを願う現代の私達の姿に似ています。
 23g:ピラトは結局裁判を途中放棄して、脅しに負けイエスを兵卒らに引き渡します。イエスはゴルゴタの丘へ向かうために、自分の十字架を背負ってエルサレムの町を出て行かれました。

第24曲アリア(バス)
 バスの急げ!(Eilt)という声に、合唱団がどこへ?(wohin?)と質問しますが、これは私にはシモン・ペテロが最後の晩餐でイエスに「主よ、あなたはどこへ行かれるのですか?(Herr, wohin willst du gehen?)」と尋ねている声に聞こえます(ヨハネ伝13章36節)。イエスが最後の晩餐の時、弟子たちに向かって、「お前達とはこれで別れるが、お前達は私の行く所に来ることはできない。」と言ったので、ペテロはイエスの言う意味が分からず悲しくなり「主よ、あなたはどこへ行かれるのですか?」と聞いたのです。
 十字架の丘にこそ幸福があるのだ、と聞く者を誘いますが、合唱のバスパートが抜けて高い音域だけが残り、天国が近づいていることを感じさせます。

第25曲聖書場面
 25a:イエスは二人の囚人とともに十字架に掛けられます。ピラトはイエスの十字架上の罪状書きに「ナザレ人 イエス ユダヤの王」と書いた札を付けさせました。町に近かったので多くのユダヤ人がそれを読み、さらにヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語で書かれていたので誰でも読むことができました。これは「全世界に対する知らせ」であった事を意味します。またナザレ人、とは身分の低い、田舎のナザレ村の者という意味で「この身分の無いイエスこそ、ユダヤの王、救世主である」というニュースを、ピラトは意図せずに書いたのです。
 25b:ここでは「ユダヤ人の王」のテーマが“nicht: der Jüden König”という歌詞で歌われます。ユダヤ人達は罪状札を見て「ユダヤ人の王、と書かずに『ユダヤ人の王と自称した』と書いてください。」とピラトに要求します。nicht と sondern(そうではなく)を強調して歌うと良いと思います。
 25c:しかしピラトは「私が書いたものは、私が書いた通りだ」と要求を受け入れませんでした。これはピラト自身がはからずも「この人こそは、ユダヤ人の王、救世主であるぞ!」と宣言したことを意味します。
  1964年カール・リヒター指揮の録音では、この場面(32小節の最後のコーダ)でオルガンがファンファーレのように高らかに鳴り響きます。リヒターの録音はオルガニストが強い主張をしていて、この瞬間が「イエスが救い主である」ことを世界中に知らせるヘッドライン・ニュースの音楽のような輝かしい響きになっています。

第26曲コラール In meines Herzens Grunde
 そのピラトの宣言を受けて、合唱団が高らかに十字架が心の中で輝く様子を歌います。4小節の繰り返し部分(8小節の3拍目まで)はsein. までがひと続きの文ですから、気持は4小節で切れないようにした方が良いと思います。「私の心の底(Grunde)で、あなたの名前と十字架(dein Nam und Kreuz)だけが、いつも輝き(funkelt)、そこにこそ(drauf)私の喜びがあります。」繰り返しの後に動詞が来ています。
 「私にそのお姿を現し、苦難の中の私を慰めてください」。12小節の wie からは静かに「あなたのように、主キリストよ、優しく死に至るまで血を流されたように。」と締めくくります。
 このコラールはピラトの「この方こそユダヤ人の王である」という宣言の後だからこそ、感動的な響きがあります。このコラールで初めて、「ユダヤ人の王」の言葉の謎が解けたように救い主としての十字架のイエス像が現れて来るからだと思います。
 以上のように「ユダヤ人の王」には二つの意味があります。イエスは誕生の時に「ユダヤ人の王様」と呼ばれ、ユダヤ人達は民族を解放してくれる救世主を待ち望んでいました。イエスのもとから逃げ去った多くの弟子たちも政治的指導者としての「ユダヤの王」を求めていました。そしてピラトも「お前はユダヤ人の王なのか?」とローマに対する反逆を企てる指導者なのかと尋問しました。
 しかしイエスは、ユダヤの国を治める政治権力としての「ユダヤ人の王」ではなく、自ら身代わりとなった救世主としての「ユダヤ人の王」でした。しかもユダヤ人だけでなく全世界の人々にとっての救い主を意味していました。この「ユダヤの王様」のキーワードを理解すると、ヨハネ受難曲がグッと分かりやすくなります。

第27曲聖書場面
  兵卒達はイエスの上着を分け、一枚折りの下着をくじ引きで誰が取るかを決めます。イエスの着物をくじで引く話は三つの共観福音書全てに出ていますが、旧約聖書詩篇第22編18節には「彼らは互いにわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引きにする。」と書かれています。兵卒達は旧約聖書に書かれた通りの事をしたのです。
  27cの71小節2拍目に小さな八分休符がありますが、CDの録音によってはここを長めの休符にしている物が多いようです。この休符の前後で、状況を説明する内容が全く異なるからです。2008年8月ロンドン、ロイヤルアルバートホールで収録されたPROMS音楽祭ガーディナー指揮ヨハネ受難曲を放映したBBC放送の英語字幕は、休符に続く Es stund aber bei dem Kreuze Jesu の aber(しかし)を、“But, meanwhile”(ところが、その一方で)と英訳していました。兵卒の男どもの血も涙も無い行為の一方で、イエスの十字架の脇には危険を冒してイエスの最期を見守ろうとする優しい女達が居た、という感じがよく出ていると思います。
 イエスは母に、自分の代わりに最愛の弟子ヨハネを息子と思ってくれ、と別れを告げ、母の身をヨハネに託しました。

第28曲コラール Er nahm alles wohl in acht
 「彼は、最後の時でもなお全てを気に掛け、母を思い後見人に託された。」と歌います。この曲は第一部の最後に、ペテロの後悔に対するイエスの優しい眼差しを歌った第14曲コラールと同じくP.シュトックマンの受難節コラールの一節で、「おお人よ、正しいことを行い、神と人とを愛しなさい。そして苦しみ無く死んで、決して嘆いてはいけない」とイエスが私達に語りかけているように、私は思います。第32曲のバス・アリアのバックでも、死んだイエスに代わり語りかけます。
 キリスト教信仰の主題は中心の第22曲にありますが、ヨハネ受難曲の最も感動的な場面は、イエスが十字架で息を引き取る、この場面以降にあります。息も吐かせないピラトとのやり取りの後でこそ、感動がやって来ます。

第29曲聖書場面
 イエスは全てが済んだことを知って、旧約聖書詩篇22編の「渇く」という言葉を語りました。
 マタイ受難曲にイエスが十字架上から「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(ヘブライ語で「我が神、我が神。なぜ私を捨てられるのですか」の意)と言う場面があります。この場面はマルコ伝にも記されています。これについてイエスが人間的心情から自分を見捨てた神を恨んだ言葉だという解説を時々見受けますが、これは間違いです。当時のラビと呼ばれる宗教指導者達は皆旧約聖書を諳んじていて、イエスも同様に有名な受難の預言・詩篇22編を叫んだと考えられます。それを通して自ら、十字架は旧約聖書の預言の通りであることを示しました。ヨハネはこの様な誤解を避けるために、同じく詩篇22編の「私の力は陶器の破片のように渇き、」という部分からイエスが言った「渇く!」という言葉だけを収録しています。
 そしてイエスは最後に Es ist vollbracht! (神様のご計画は全て成し遂げられた!)と言いました。

第30曲アリア(アルト)
 イエスの言葉を受けて Es ist vollbracht! で始まるこのアリアは、天の使命を全うしたイエスへのいたわりに満ちています。13小節からの「悲しみの夜は..今や最後の時を数えるに任せている。」の所に長い Trauernacht のC♯持続音がありますが、悲しみの最後の夜が深々と更けて行く様子が感じられます。初めてこの曲を聴いた時、イエスが十字架で最期を遂げたのは午後で、夜ではないはずと思いました。これはやがて救いの朝がやって来るという意味だと思いますが、バッハが深夜にこの部分を作曲している時、イエスの死に対する深い思いに満ちて涙でペンを走らせたのではないか、と思わせます。
 Vivaceからの部分はユダ族から出た勇士イエスは(救世主はユダ族から出るとされていました)力強く勝ち、とイエスの十字架の死が新しい救いの勝利であることを宣言します。

第31曲聖書場面
 最も短い曲で、イエスが首を垂れ息を引き取る場面です。

第32曲アリア(バス)・コラール
 バスの問いかけに対して、合唱が答えを返す形式です。合唱は第14曲、第28曲と同じP.シュトックマンの受難節コラールから第34節です。
 バスの「わが愛する救い主よ、お聞かせください。あなたは十字架につけられ『全て済んだ』と言われました。私は死から解き放たれたのでしょうか?」という質問に、合唱が「イエスよ、あなたは亡くなられましたが、今こそ永遠に生きておられます。」と答えます。
 合唱団の静かな答えは、死んだイエスの代わりに答えている様に聞こえます。
 さらにバスが20小節から「あなたの苦難と死によって、私は天国を手に入れる(ererben)ことが出来るのでしょうか?全世界は贖われたのでしょうか?あなたは苦しみで言葉も無い。」と問い、合唱が「あなたが得られた(verdient)ものを、私に与えてください。私はそれ以上を望みません。」と答えます。この時バスが歌うererben(手に入れる)と、合唱のverdienen(得る)はドイツ語の意味が違い、ererbenは相続して得る、verdienenは働いて得る-つまり労働の対価として得るという意味です。天国は相続のようにタナボタで得られたのではなく、イエスが十字架を通して神の使命のもとに働いた代償として私達は天国(救い)を手に入れることが出来た、という意味に私は解釈しました。

第33曲聖書場面
 ここはバッハが、劇的な効果を狙い、次のテノールのアリオーソへと繋げるためにマタイ伝27章51小節から引用した、神殿の幕が割れ地震が起こる場面です。

第34曲アリオーソ(テノール)
 「創造主が冷たくなる様を全世界が喪服をまとい見守る中で、私の心よ、こんな時お前は何をしようとしているのだ」と歌います。

第35曲アリア(ソプラノ)
 「私の心よ」というテノールのアリオーソを受ける美しいソプラノのアリアは「溶け去れ、私の心よ、涙の満ち潮に」と、悲しみの極みを歌います。
 この「心が溶ける」という、くずおれた悲しみの表現は、これも詩篇22編からの引用で14節からの「私の心臓は、ロウのように胸のうちで溶けた」という詩から来ています。
 このアリアで最も心を打つのは「この世にも、天にも語れ、あなたのイエスが亡くなった(dein Jesus ist tot)、と。」、という所ではないでしょうか。今まで「私のイエス」「私の心」と歌っていた詩が、急に「あなたのイエスが亡くなった」と、聞く者に直接問いかけてくる思いがします。バッハは渾身に溢れる霊感で、これを書き上げたのではないでしょうか。

第36曲聖書場面
 イエスの遺体に対して行われる最後の責め苦です。既に遺体となった体に対して行われるので、さらに残酷さが増します。
 ユダヤ人達はイエスを十字架で処刑することに成功すると、今度は翌日の安息日で過越祭第一日目の大切な日に、十字架に死体を残しておかないように、ピラトに願い出て足を折るよう依頼しました。長ければ数日は生きている処刑者の死期を早めるために、足を折って体の重みで落下させたのです。しかし兵士がイエスの所に来ると既に死んでいたため、足を折らずに槍で脇腹に穴を開けた(16小節のeröffneteが鋭い槍で突き上げる音型)ところ、血と水が流れ出ました。イエスはほんの数時間で絶命していたのです。
 19小節からは、今までヨハネ伝記者として名を伏せていた使徒ヨハネは、ここで読者(聴衆)に目撃者として証言します。「これを見た者は、自分の言うことが真実であることを知っている。(これを書くのは、イエスが神の子であることを、あなた方に信じさせるためである)」
 そして最後に旧約聖書から二箇所の言葉を引用して、預言が成就したことを伝えます。「その骨は砕かれない(出エジプト記12-46)。」「彼らは自分が突き刺した者を見るであろう(ゼカリヤ書12-10)。」

第37曲コラール O hilf, Christe, Gottes Sohn
 あなたがなぜ死なれたか、その死と理由(原因)を思い、その代わりに貧しく弱くとも感謝の捧げものをします、と最後の感謝のコラールを歌います。これは第二部冒頭のコラールと同じです。

第38曲聖書場面
 イエスの埋葬場面です。イエスの弟子であることを隠していた身分の高いアリマタヤ生まれのヨセフなどが集まり、痛ましいイエスの遺体を手厚く埋葬します。イエスのむくろは王など高貴な人を埋葬するユダヤ人のしきたりに従って扱われました。
 ユダヤ歴では一日は日没で始まり日没で終わるので、翌日の聖なる安息日が始まる日没までに急いで遺体を埋葬しようとしました。(一日が日没から始まることは、創世記第1章8節に「夕となり、また朝となった。」と書かれていることに基づいています。日没で「夜」が始まり、日の出で「昼」が始まります。)幸い近くに園があり、そこに誰も収められたことのない墓があったので、人々はそこにイエスを収めました。イエスの遺体が無事埋葬されたことを静かに報告して、エヴァンゲリストの最後の仕事は終わります。
 6月にトーマス教会で聴いたガーディナーの演奏では、この曲の後に今までの彼の録音では聴いたことのない程長い、祈りのような沈黙がありました。

第39曲合唱 Ruht wohl, ihr heiligen Gebeine
 イエスの聖なる亡きがら(Gebeine)よ、安らかに憩いたまえ。苦しみ抜かれた遺体よ、どうぞ安らかに。私はもうこれ以上泣きません(beweine)。Gebeineとbeweineが韻を踏んでいます。
 私もまた、天国に憩わせてください、と清々しい救いの気持ちを歌います。非常に長い合唱ですが、この曲を聴くときに感じる突き抜けたような感覚は、どこから来るのでしょうか?
 このヨハネ受難曲を振り返ってみます。
 第一部 宗教裁判  イエスは神を冒涜した罪に問われる
 第二部 政治裁判  イエスはローマに反逆した罪に問われる
 何れも冤罪であって、愛と憐憫に満ちて人々に語り、何の悪事も働かなかったイエスは引きずり出され、殴られ、嘲られ、唾され、鞭打たれ、侮辱の限りの果てに処刑場に引かれて行きました。私達があのシモン・ペテロのように炭火に暖まっている間に、彼は裁かれ処刑されてしまった....。
 しかしイエスは、神様がご自身に託された使命を全うしてその仕事を成し遂げられた。その死の原因を思うとき、あのバラバのように私達罪人が赦され――イエスが罰せられたのだ――、という想いが、この長い埋葬の合唱が演奏されている間に沸々と湧いて来るのです。この場面の感動はキリスト教を信ずる者も、そうでない者も同じではないでしょうか。四面嘲弄の中で死なれたイエスの十字架を思うと、小さな苦痛は忍ばなければならない、身の回りにイヤな事や耐えられない事があっても堪えなければならない...と。

第40曲コラール Ach Herr, laß dein lieb Engelein
上記のような決意を、この最後のコラールを聴く聴衆は改めて自覚します。
 このコラールはバッハより約200年前のマルティン・ルター(1483-1546)より少し後のマルティン・シャリング(1532-1608)が1569年に作った讃美歌(我は心よりあなたを愛す、おお主よ)の一節ですが、21小節にあるGenadenthron(恵みの玉座)のGenade(恵み)は、大変古い語で1050年頃から1350年頃にかけて使われた中世高地ドイツ語のようです。西ゲルマン語属として語源が同じオランダ語も、このgenade(恵み)です。第22曲コラールの6小節目に出てくるGnadenthronと同じ意味です。
 この最後のコラールは、バッハがこの曲を何度も書き改める過程で外的要因によって外されました。しかしバッハ死の前年1749年の第4稿では、バッハはこのコラールを復活させたとされています。
 私はその理由を、このコラールの詩に見いだします。「私が最後の時を迎えたら、アブラハムのふところ(天国の控室・天国の比喩)まで運んでください。そして、喜びに溢れて、救い主イエス様に会わせてください。」と、死期が近いと悟ったバッハは、ヨハネ受難曲を何としても完成させようとこの曲を復活させたのではないでしょうか?
 「私はあなたを永遠に讃えます」と力強く、歓びのうちにヨハネ受難曲は幕を閉じます。

バッハのお墓

バッハのお墓 (ライプツィヒ・トーマス教会) 2013年6月

最後に
 救い主を待ち望んでいた筈の人々は、民衆の人気を集めるイエスを嫉み、言葉尻を捉えて神を冒涜した不敬罪として抹殺しようと企てました。宗教裁判のように見せかけながら、死刑の執行権を失っていたユダヤ人達はローマに対しては「ユダヤ人の王」の語を歪曲させ、政治的反逆者だとするトリックを使って巧みにある結論に誘導しました。きまじめなピラトは、ローマの出先の長として、その権力を守りたいが為に、保身でイエスを十字架にすることを許しました。
 形式的・外見的事象を見せながら、実は隠した目的を達成しようとする、このような手法は現代の社会にも、我々一人ひとりの心の中にも、メカニズムとしてしっかり入っています。
 イエスが十字架の死を遂げた原因は、善と悪の対立の結果と考えるのは正しくないと言います。全くその通りだと思います。ピラトがローマの法律を守ろうとする一方、ユダヤ人の宗教指導者達は熱心にユダヤ教の律法を墨守しようとした、その結果とも捉えられますが、それは第三者的見方です。
 バッハは自ら聖書を読み解き、現代の私達いや私の中にあるピラトもユダヤ人達も共通に遺伝子の中に組み込まれている人間の罪深さがその理由であることを、音楽を通して気付かせてくれました。
 イエスの十字架は、神様が人類に対して執った緊急手段ではなかったのか?暁前の闇にまどろむ中で突然鳴り出した目覚まし時計のように、神様はイエスを十字架に掛けたことで、気付かせてくれた....聴衆がこの曲を聴き終わった時に感じる感動は、それに気付いた瞬間だと思います。

 最後になりますが、私達の練習の過程で幸いにも「すざかバッハの会」で、礒山雅先生による「ヨハネ受難曲講座」に団員が参加する機会を与えられたことを特記させていただきます。ヨハネ受難曲を歌うだけでも何度も無いチャンスである上に、タイミング良く礒山先生の講義を隣町で聴けるとは、何という偶然の好機でしょうか。バッハを歌う喜びと、それをより理解する喜び...。私達は毎回楽しみに参加させて頂きました。これによりバッハをより深く理解しようとする気運が高まったことは間違いありません。礒山先生および須坂バッハの会大峡会長、事務局の皆様には深く感謝申し上げます。
 会では礒山先生の研究成果も含めて詳細な勉強を進めていたために、10月の我々の演奏会前には第19曲のバス・アリア(Betrachte, meine Seel)の所までしか到達出来ませんでした。しかしたとえ途中までであっても楽譜をただ歌いこなすレベルから、この受難曲全体を理解し、少しでも深く掘り下げようとする熱意が自然に生まれました。それだけでも大成功です。
 その上これで講座は終わりではなく、来年も引き続き「続・バッハが手塩にかけた《ヨハネ受難曲》」として講座が開かれることは、チャンスを二倍いただけたのだと思います。来年も楽しみです。

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