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ヨハネ受難曲解説の続編もあります。コラールの意味を解説してあります。

続・ヨハネ受難曲解説 へ

 J.S.Bach Johannes-Passion BWV 245
   ヨハネ受難曲解説

(このページは団員向けの資料を一般に公開したものです)

   2012年6月 Base 石坂幸一

目次
1,はじめに
2,マタイ受難曲とヨハネ受難曲の違い
3,旧約聖書と新約聖書
4,共観福音書とヨハネによる福音書の違い
5,ヨハネ伝は誰が書いたのか?
6,パリサイ派とサドカイ派
7,ヨハネ受難曲解説
8,ヨハネ・パウロ→ルター→バッハ→私達



1,はじめに


 この度、長野市民合唱団コールアカデミーがヨハネ受難曲という偉大な曲に取り組むに当たって、この曲を私たちがより深く味わい、さらに来場されるお客様にもより大きな感動を共有して頂きたいため、ヨハネ受難曲の特に「ヨハネ福音書」に書かれた部分に焦点を当てて勉強を進めたいと思います。
 この長大な曲の練習成果については、幾つかの段階があると思います。まず最低限は①合唱部分の音取りや、歌詞の意味を確実にする。次に②福音書記者ほかソリストが歌う歌詞の意味を理解した上で合唱パートを歌う。さらに③福音書と、この受難曲の深い意味を感じながら練習を楽しみ(味わい)最後にステージに立つ...。
 ヨハネ受難曲に幸いにも取り組めることは、私たちアマチュア合唱団員にとって、一生の間でそう何度も無いと思いますので、出来れば自分も含め共に歌う仲間が③のステージで喜びを共有したいものだと思います。バッハが後世に残した宝のような作品を理解する喜びと、それを団の仲間と共有し感動を分かち合う喜びを、コールアカデミー40周年を迎える今、味わいたいと思います。
 そこで私の乏しい聖書を学んだ体験(*1)と、35年も前の聖書講義の録音テープ、ノート、様々な書物などの資料から、私が分かる範囲のことを団員の皆様にお伝えしたいと思い、以下にまとめてみました。
予備知識を飛ばしてヨハネ受難曲解説から読まれる方は、7,ヨハネ受難曲解説からお読みください。

参考図書は以下の通りです。(1),(5),(6)のWEB版,(9)は手に入りやすいものです。
(1)福音書 塚本虎二訳 岩波文庫 岩波書店・・・最も分かり易い口語体福音書
                      (ワイド版岩波文庫が文字が大きく見易い)
(2)使徒のはたらき 塚本虎二訳 岩波文庫 岩波書店
(3)ヨハネ伝講義(上・下) 高橋三郎著 待晨堂
(4)聖書講義Ⅳ ヨハネ伝 矢内原忠雄著 岩波書店
(5)イエス伝 矢内原忠雄著 角川選書 角川書店
(6)註解新約聖書ヨハネ傳 黒崎幸吉著 立花書房
   同 黒崎幸吉新約聖書WEB版 http://stonepillow.dee.cc/index.html 大島守夫
  上記WEB版聖書は、各聖書訳が比較して表示されますので大変使いやすい内容になっています。是非利用してください。
(7)ギリシャ語対訳新約聖書ヨハネ福音書(上・下) 岩隈直訳 山本書店
(8)原始キリスト教 マルセル・シモン著 久米博訳 白水社クセジュ文庫
(9)世界の名著16 聖書物語 バン・ルーン著 吉田新一訳 ポプラ社・・小学生高学年以上
(10)世界の歴史 中公文庫 中央公論社
(11)THE NEW ENGLISH BIBLE,
   OXFORD UNIVERSITY PRESS/CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS, 1970

(*1)
 私は家内と結婚する前、家庭を築くバックボーンとして同じ合唱の趣味だけでなくキリスト教の精神が家庭の中に必要と考え、ある方の聖書研究会に毎週二人で通い始めました。その方は大島智夫先生と言って信州大学医学部の教授をされておられた時期もありましたが、当時は横浜の大学に医師・教授として勤務される傍ら黒崎幸吉氏が建てたキリスト教学生寮「登戸学寮」の寮長として(現在は理事長)毎週聖日の集会を守っておられました。私は当初東京都内から通い、寮の学生と共に聖書を学んでいましたが、川口市に転居し子供が生まれた後さらに長野に転居するまでの約6年弱、毎週日曜日片道2時間以上かかって(当時は埼京線も湘南新宿ラインも有りませんでした)小田急線向丘遊園の生田まで通い続けました。普段は電器メーカの研究所で終電近くまで仕事をしながら、毎週よく通ったものだと今でも懐かしく思い出します。その時の録音テープは転居の度に、捨てずに今日まで取ってありました。


2,マタイ受難曲とヨハネ受難曲の違い


 ヨハネ受難曲は、バッハ39歳の1724年に作曲・初演されたと言われていますが、その3年後に初演されたマタイ受難曲があまりにも存在感が大きく、また度々演奏されるため、ヨハネの方が少し存在感が薄いようです。またマタイの方が規模も大きく登場人物も多彩で劇的要素も盛りだくさんです。
 一方ヨハネは、それに比べるとコンパクトですし「地味」にも思えます。しかし私は個人的にはヨハネ受難曲の方が、より深く感動的な内容を湛えているように思います。
 その理由を楽譜やCDを手に入れて考えてみるに、それは「ヨハネによる福音書」の特徴がそうしていることに気がつきました。しかしヨハネによる福音書を理解することは、ヨハネ受難曲の福音書記者やイエス、ピラト役らが主に歌う福音書のテキスト部分をよく読めば理解できるか、というと残念ながら簡単ではありません。聖書は世界で最も多く出版されている書物でありながら、世界で最も歯ごたえのある固い食物で、なかなか理解しがたいものです。何らかの解説書がないと容易に近づくことができません。それは日本人の我々が育った環境や時代が異なるので、当然のことだと思います。
 そこで、まずマタイ受難曲とヨハネ受難曲の違いは、マタイによる福音書とヨハネによる福音書の違いから来ること、さらにそもそも聖書とは何が書かれているのかを理解したいと思います。


新約聖書時代のパレスティナ

       新約聖書時代のパレスチナ 日本聖書協会 聖書地図 1955年 (日本聖書協会承認済み)


         地中海地方の今の地図 (マウス・スクロールで移動、拡大できます)



3,旧約聖書と新約聖書


 ご存知の通り聖書は旧約聖書と新約聖書から成っています。旧約は創世記からマラキ書まで39巻、新約はマタイ福音書からヨハネ黙示録まで27巻、合計で66巻です。
 旧約聖書はもともとユダヤ教の教典です。神はユダヤ民族を選び、アブラハム、モーセ、ダビデなどの預言者をもって、もし神の言葉、特にモーセ五書にある律法を守るならば、ユダヤの民に永遠の王国を与えるだろうと約束しました。そして救世主(ユダヤ人の母語ヘブライ語でメシア=メサイア、ギリシャ語でキリスト)が現れて彼らを救い、永遠の幸福に入れると預言しました。ユダヤ人は今日までこれを信じて救世主の出現を待ち続けています。ですから旧約聖書はユダヤ民族の聖書です。
 それに対してキリスト教徒は、イエスこそがその救世主であると信じています。イエスこそは救世主、という意味でイエス・キリスト(救世主)と呼びます。「姓はイエス、名はキリスト」ではありません。そこで、ここを間違えないように、私たちはヨハネ受難曲を学ぶ間はイエスを「キリスト」と呼ばずに、「イエス」と名前だけで呼ぶことにします。

(1)パレスチナ地方の政治情勢とユダヤ人の精神的結束

イエスのエルサレム入城 (ドゥッチオ)
イエスのエルサレム入城

 前538年にペルシャの王キロスの手によって「バビロン捕囚」から解放されたユダヤ人は、50年近くにも及んだ捕囚中も彼らの信ずる唯一の神ヤーウェ(Yahweh, Yehovahエホバ)への信仰を固く守っていました。ユダヤ人はバビロン捕囚によって政治的には全く無力の民とされましたが、信仰による固い絆と民族宗教としてのユダヤ教が作り上げられ、政治的独立の喪失と引き換えに精神の大いなる遺産を獲得したのでした。
 その後も様々な国がユダヤ民族を支配し続けましたが、ユダヤ人の土豪マカベア家が革命を起こして、外国の力から自国を解放し、独立王国が実現しました。この勝利の興奮を音楽にしたものが、表彰台でよく演奏されるヘンデルのオラトリオJudas Macabaeusの「見よ、勇者は帰る」です。これは讃美歌にもなっていて「喜べや、たたえよや」と歌われます。実はこの歌詞はヨハネによる福音書第12章12節以下にあるイエスがエルサレムの都に入城する時、歓呼する民衆が、マカベウス凱旋の時に倣ってシュロの枝を手にイエスを迎えた場面と二重写しになっていて、この世との戦いに勝利することを象徴しています。イエスは、マカベウスのような軍馬ではなく、平和の象徴ロバに乗ってやって来たのです。
 (大相撲優勝力士への天皇賜杯贈呈の時も、この音楽が流れます。オリンピックでは民族的主張があって中止になったそうです。)
 しかしマカベア家による国家独立も長くは続かず、やがて内輪争いをしている間にローマの勢力が拡大して前63年には、またもやローマに征服されてしまいました。こうしてユダヤ人は、やがて救世主(メシア)が来て、彼らを完全に解放することを激しく待ち望んでいました。

(2)ヘロデの時代
 ローマは初め、パレスチナ地方を直接治めず、ユダヤ南方イドマヤの土豪出のヘロデに統治をゆだねました。ヘロデは残忍な性格で悪がしこく、ローマの政治家に渡りをつけて保身をはかり、次々と地位と所領を確保しました。そして、彼はローマの同盟国の王としてますますローマに忠誠を尽くして領土を増やし、ローマ人からは「ヘロデ大王」と呼ばれるまでになりました。
 このヘロデ統治のパレスティナに、イエスは生まれました。イエスはパレスティナ地方北方ガリラヤの小さな村ナザレに、大工ヨセフの子として生まれました。彼は自分が、聖書に預言されている救世主であると宣言し、人々にやさしい語り口で教えを説きました。ユダヤ人は驚き、怒り、神を冒涜する者として十字架につけて殺してしまったのです。
 しかし少数の者がイエスの言葉を信じ、ユダヤ教の預言は彼によって成就したと考え、イエスこそ救い主(ギリシャ語でキリスト、ヘブライ語でメシア)と信じました。そうでないユダヤ人達はそれを受け入れていません。こうしてユダヤ教とキリスト教の間に信仰上の戦いが始まり、今日までなお続いています。
 イエスの教えは、彼の死後しばらくは口で伝道していましたが、間もなく文字で伝える必要が生まれ、紀元70年のエルサレム陥落を前後として、多数のイエスの伝記や使徒の歴史、また多くの手紙を伝道者達が書きました。
 これが2世紀の前半に収録されて一冊の本になりました。それが新約聖書です。



4,共観福音書とヨハネによる福音書の違い


 「福音」とはギリシャ語のユーアンゲリオン(Euangelion)の訳で、喜ばしいおとずれ、吉報を意味します。新約聖書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという4人の異なる記者によるイエスの伝記(それぞれ記者の名前をとり「~による福音書」)があります。ヨハネによる福音書は「ヨハネが書いたイエスの伝記」という意味で、ヨハネ伝と呼ぶことにします(他も同様)。
 成立の歴史的順序はマタイとマルコが逆で、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの順となります。それぞれの記者は、何とかしてイエスの生涯を生き生きと描こうとして筆を執っています。イエスの系図や誕生のいきさつから説き始めている福音書もありますが、ヨハネ伝は「初めにことばがあった」と、旧約聖書創世記の書き出し「はじめに神は天と地とを創造された」と対比させた哲学的な書き出しで始まります。
 それぞれの福音書を詳細に比較研究した結果に依りますと、マルコ、マタイ、ルカの3福音書は非常に似た記述があって、共通の資料をもとに書かれている、ということが分かっています。この3つは観かたが共通しているという意味で、共観福音書と言います。
 少し詳しく書きますと、マルコ伝の原形になったと思われる資料があり(これをM資料と書きます)、マタイとルカがそこから取り入れている。さらにマルコには無く、マタイとルカにだけ共通する資料がある(これをドイツ語のQuelleから取りQ資料と書きます)。これらを記号で書くと、
   マルコ=M+  特ダネa
   マタイ=M+Q+特ダネb
   ルカ =M+Q+特ダネc
となります。特ダネとはそれぞれの特別資料です。
 これに対してヨハネ伝は共観福音書とは全く別物の観があり、イエスの生涯を詳しく書いた共観福音書を補完する意味を持って書かれたと考えられています。つまりヨハネ伝は、イエスの生涯の意味、特に使徒達に言い残しておきたかった事と、十字架の意味を情熱を以て書きつづったものです。
 と言うことは、私達がヨハネ受難曲を理解しようとする時は、イエスの伝記を知った上でヨハネが書こうとした十字架の意味を分かろうとする必要がある、だからマタイ受難曲よりもヨハネ受難曲の方が難しい、とも言えると思います。
 大雑把過ぎる表現を使えば、共観福音書はイエスの言動を通して「人間イエス」を書いたのに対して、ヨハネ伝はイエスが神の子「キリスト」であることを伝える明確な意志を以て全世界の人々に解き明かそうとしたものです。その証拠のひとつがヨハネ伝巻頭の「はじめに言葉があった」です。この「言葉(ロゴス)」は救い主イエス・キリストを表し、その方は世界の歴史の始まる前から神とともに居た、という意味です。また第5節には「暗闇の人々は、これを理解しなかった」とイエスの殺害を暗示しています。ヨハネ伝の記者は、イエスの出現を歴史的人物以上に、壮大な超歴史的存在として捉えています。
 ヨハネ伝の目的は、イエスの言葉や生涯の事件をこと細かに書くことが目的だったのではなく、イエスを地上に使わした神の存在と、十字架の意味を伝えたかったのです。マタイ受難曲は劇的要素が多いですが、ヨハネ受難曲は哲学的なのは、それが理由ではないでしょうか?


5,ヨハネ伝は誰が書いたのか?


 ヨハネ伝は誰が書いたのかは、実は正確には分かっていません。そらくヨハネ伝の中に「イエスの特別に愛された弟子」と書かれている人で名前が伏されている弟子、つまりイエスの12人の弟子の一人使徒ヨハネが直接資料を書いたのであろうと言われています。
 そしてイエスと同時代のユダヤ人ではなく、ヘレニズム文化の影響を受けた最高の知識人が紀元80年から90年頃たくさんの資料の中から編纂したのではないか、と言われています。
 ヨハネ伝は共観福音書と重複する所は省略し、ローマの出先機関である総督ピラトとの審問と、イエスの復活について詳しく書いています。さらに共観福音書ではイエスに敵対する人達を「学者・パリサイ人」と書いているのに対し、ヨハネ伝ではこれらを「ユダヤ人」と呼んでいます。つまりヨハネ伝の編集者はユダヤ人ではない立場から、イエスの生涯と十字架の意味を全世界に広げる目的を持ってこれを書いています。
 日記以外のどんな書物も、読み手(対象者)を意識して書かれますが、このヨハネ伝はユダヤ人以外の広い世界を対象に書かれています。


6,パリサイ派とサドカイ派


 イエスを殺したのはユダヤ人だ、という精神の構造は歴史的に様々な悪しきものを生み出して来ました。
 イエスを殺害した人々は単なる「ならず者」や群衆の狂気ではなく、祭司やパリサイ人達、つまり熱心に神の教えを学び、その権威を守ろうとしていた指導的立場にある人々です。彼らの「文化」の中にあっては何の落ち度もなく、熱心に燃えた人々であったのです。
 そこで、イエスがなぜ十字架に掛けられたのかを理解するには、どうしても当時のユダヤ人の3つの派、中でもパリサイ派とサドカイ派のことを予め理解しておく必要があります。そして何と、現代の異国の我々にも彼らと同じ姿が潜んでいるのを知ることが出来ます。ヨハネ受難曲でユダヤ人が「イエスを殺せ、片付けてしまえ!」と叫ぶ姿に、歌う自分を重ねるとき、あるいは聴衆が感じるとき、ほんとうにこの曲が理解できると思うのです。
 ユダ・マカベアが取り返したユダヤの国はしばらく平和な時期が続き、ユダヤ人達は宗教の議論にふけりました。この国はまだ神殿を祭ることと国を治めることを同じに考える祭政一致の国でした。ギリシャやローマなど周りの国々では、とうの昔に祭政一致を捨てた政治が行われていました。
ユダヤ人達は、はっきり分かる3つの派に分かれていました。その中で最も重要なのはパリサイ派(ファリサイ派)です。
パリサイ派(ファリサイ派)
 彼らは代々、昼も夜も昔から伝わる巻物を読みふけり、出エジプト記の難しい聖書の箇所の説明、注解などを仕事にしていました。世間的にはへりくだって居ましたが、心の中では正しい行いをしている自分達を非常に誇りに思い、他の人々を軽蔑していました。保守的で律法を厳格に守り、ユダヤ人の最高議会でも発言力を持っていました。国粋的で反ローマの立場でした。
サドカイ派
 もうひとつはサドカイ派です。サドクという司祭の家から出たこの派は、神エホバには忠実でしたが、各地を旅してユダヤ以外の国々も見ていましたから、実利的な考えを持っていて政治にも興味を持ち、神殿でもちゃっかり商売をしていました。神殿の祭儀を司る大祭司などユダヤ人社会の上層部にあって、神殿のさい銭もローマの許可を得ていましたから、政治上は親ローマ的でした。
 パリサイ派が宗教上の異端者としてイエスを殺そうとした時、サドカイ派も一緒になってイエスを訴えました。イエスが神殿の商売の邪魔をしたからです。反ローマのパリサイ派と、親ローマのサドカイ派は立場は違ってもイエスを殺そうとする結論は同じだったのです。
エッセネ派
 3つ目のエッセネ派は、ごく少数の「変わり者」です。この人達は罪深い行為から何とか逃れようとして、私有財産を捨て、衣服と寝床と簡単な食器だけを持って荒野に逃れ、何ひとつせず、争いを避け、一切の生活行為から離れていました。そしてわずかの小麦畑を耕す以外の時間は、聖なる書物を読みふけっていました。
 このように考え方や生活態度が違うプライドの高い人々が居たので、いつも互いに争いが絶えない状態でした。彼らの内輪もめは、その土地を管轄するローマの出先機関、総督官邸に持ち込まれ、総督を絶えずいら立たせていました。
 しかし、ゴタゴタで平和が乱れたり、宗教上の扇動者が出ないように絶えず監視することはローマ総督の重要な役割でした。
 以上が、イエスが地上で働き、十字架に上げられる背景にあった社会情勢です。


7,ヨハネ受難曲解説


曲の番号および楽譜のページ番号はベーレンライター版に拠ります。
例:2d合唱(p26)
またヨハネ伝の記事は、テキストの中の隠れた意味を( )で示しました。
テクスト中の数字はヨハネ伝の節番号。
訳は塚本虎二訳 福音書(岩波書店) に拠ります。 


第1部

1合唱(p1)
主よ、私たちを支配される方よ、その誉れは
全地にあまねく輝いています。
あなたの受難を通して示してください..
あなた、まことの神の子が
いかなる時にも
低さの極みにおいてさえ
栄光を与えられたことを。


 第一曲目は、これから始まるイエスの十字架の物語全体を暗示するプロローグであり、ヨハネ伝冒頭の「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。」とイエスが神の子であることを示す序章と相対応しています。侮蔑された「低さの極み」が神の栄光を顕した、と受難曲の主題を示します。
 暗く、不安と緊張に満ちた響きで始まります。この不安な響きは、次の曲でイエスが捕らえられる場面の以前に起こっていた、イエスを裏切ろうとしていた一人の弟子が食卓でイエスに見破られて夜の闇に出て行った背景と、これから始まるイエスの苦難を暗示しています。


2a福音書記者・イエス(p22)
ヨハネ伝18章1節
(こう言ったあと)イエスは、弟子たちと共に(都から)ケデロンの谷の向こうに出て行き、そこにある園に入られた。弟子たちも一緒であった。2イエスはそこで度々弟子たちと集まられたので、イエスを売るユダもこの場所を知っていた。
3ユダは一部隊の兵と、大祭司連およびパリサイ人(すなわち最高法院)から派遣された下役らとを引き連れ、ランタンや松明や武器を持って、そこに来た。4イエスはその身に起ころうとしていることを何もかも知っておられたので、園から出てきて言われる、「誰を捜しているのか?」5(彼らは)答えた


 イエスの十二弟子のひとり、イスカリオテのユダ(カリオテ村出身のユダくらいの意味)はイエスの教えと人柄に惚れ込んで彼に従って来ました。イエスが民衆の人気を得ていたうちは良かったのですが、パリサイ人たちと衝突し始めると、人気も落ち、お金も集まりにくくなって来ました。ユダは優秀な人材で、イエスと弟子たちの会計係を務めていましたが、ユダはそのお金を着服していたようです。
 期待していたイエスに政治力は無く失望していたところに、ナルドの香油事件がおきます。ナルドの香油事件とは、イエスと弟子たちがある村に滞在している時、イエスが来ているという噂を聞きつけて大勢の民衆が集まって来ました。ある女が「ナルドの香油」なる非常に高価な香油をイエスの頭に注いだので、会計係のユダが「もったいない」とその女を非難したところ、イエスから公衆の面前でたしなめられ、先生に対するユダの失望は不満へと変わりました。
 お金の使い道で先生から猜疑心の目で見られ始め、ユダは自己の不満を正当化しようとしていました。ある先入観で人を見れば、その人のすることなす事全てが不満に感じるのは、よくある事です。ユダは根っからの悪党ではなく、どこにでも居る普通の人でした。
 そんな時、イエスは自分が十字架に掛けられて殺されることを知っていたので、弟子たちと最後の晩餐の席を設けました。その席でイエスは「あなた達のうち一人が、私を敵に売ろうとしている」とユダの裏切りを見抜いて警告しました。すでにユダヤ人の議会はイエスを捉えて殺すことを決め、イエスの居場所を知らせるよう命令が出ていたので、ユダはイエスを売ろうと裏切りを考えていたのでした。
 イエスが「私がパンを浸して渡す人がそうだ」と言ってユダに渡したところ、ユダはパンを食べるとすぐその場を出て行きました。ユダの心は真っ暗闇であったことでしょう。
 ユダはイエスの居場所を通告するべく、大祭司連やパリサイ人の所に走ります。
 その前に最後の晩餐で、イエスが弟子たちの足を洗おうとしました。腰に布を下げて他人の足を洗う行為は、奴隷の仕事で、それもユダヤ人以外の汚れた異邦人のすることでした。一人の弟子シモン・ペテロは先生が弟子の足を洗うことに抵抗しましたが、その時すでにイエスは自分を売る者がいることを暗に匂わせました。その場の雰囲気にシモン・ペテロがたまらなくなり、イエスに「あなたの為ならどこへでもついて行きます。命でも捨てます。」と言ったことに対してイエスは「私のためなら命でも捨てると言うのか?おまえは今夜、鶏が鳴く前に三度私を知らないと言うであろう」と冷ややかな言葉を投げかけました。(ヨハネ伝13章38)
 ヨハネ受難曲には書かれていませんがこの曲の冒頭のテキスト、ヨハネ伝18章1節には「イエスがこう言ったあと」という文が入っています。これは内容的にはイエスがペテロの否認を予告したあと、14章31節で「立て、さあ出かけよう」と弟子たちに呼びかけ、最後の決戦に臨むべく席を立ったあとに繋がると考えられています。
 他の福音書ではこのあと、ゲッセマネという園でイエスが死ぬほどに悲しまれ、苦しまれて祈る場面が書かれていますが、ヨハネ伝では省かれています。
 ゲッセマネの園(オリーブの果樹園)は、高台の都エルサレムの東側に南北に走っているケデロンの谷(冬だけ水の流れる小川)を越えた先にあるオリブ山の麓にありました。
 そこへユダが大祭司たち、パリサイ人、数百人のローマの兵を引き連れてやって来ました。大祭司長は直接軍を動かす権利は有りませんでしたが、ローマ総督に訴えてローマの兵を動員することができました。
 イエスは何が起ころうとしているか知っていたので、自ら進んで「誰を捜しているのか?」と問いかけます。(マタイ伝ではユダが接吻した人がイエスだ、と合図を決めていましたが、ヨハネ伝ではイエス自ら捕えられようと名乗り出ています。)


2b合唱(p24)
(5)「ナザレ人イエスを」


2c福音書記者・イエス(p25)
(5)イエスは彼らに言われた「それはわたしだ。」イエスを売るユダも彼らと一緒に立っていた。6彼らはイエスが「それはわたしだ」と言われた時、後ずさりして地に倒れた。7そこで重ねてお尋ねになった。「誰を捜しているのか?」彼らは言った



2d合唱(p26)
(7)「ナザレ人イエスを」

2e福音書記者・イエス(p27)
8イエスが答えられた。「『それはわたしだ』と言ったではないか。だからもし私を捜しているのなら、この人達に手をつけるな。」


「この人達」とはイエスの弟子たちを表します。ヨハネ伝13章では、イエスは弟子たちを最後の瞬間まで愛しぬかれた、と書いています。私の弟子たちには危害を加えるな、と言いました。


3合唱(p28)
ああ、大いなる愛、おお計り知れぬ愛よ。
その愛があなたを苦難の道へ連れ出した。
私は、この世の楽しみと喜びを味わいました。
しかし、あなたは苦しみを余儀なくされたのです



4福音書記者・イエス(p29)
9これは「あなた(神)が私に下さった者のうち、だれ一人滅ぼしませんでした」と、イエスの言われた言葉が成就するためであった。10するとシモン・ペテロは、持っていた剣を抜いて大祭司の下男に切りつけ、右の耳を切り落としてしまった。下男の名はマルコスといった。11イエスはペテロに言われた、「剣を鞘に収めよ。父上が下さった杯、それを飲みほさないでよかろうか!」


 直情型の熱血漢シモン・ペテロはイエスを守ろうと慌てて息まき、大祭司の下男に斬りかかりました。イエスはペテロの無意味な抵抗を制止し、冷厳に神の御心に従い父の杯を飲み干そうと忠告します。普通であればここでペテロは無論のこと、全ての弟子達は縛り上げられ厳罰をくらう所ですが、「だれ一人滅ぼしませんでした」と言われた通り全員無事でした。
 この場面でイエスが言った「剣を鞘に収めよ」という言葉は、マタイ伝26-52では「剣をとる者は、剣で滅びる」という有名な言葉を併記しています。
 なお、剣で斬り掛かったのはシモン・ペテロであること、耳を切り落とされた下男の名はマルコスであることは、ヨハネ伝にしか書かれていません。ヨハネ伝の記者は目撃者として現場に居たためでしょう。
 聖書によく出てくる「成就する」とは、「預言された神の言葉が、その通りになって神の意志が完成する」という意味です。「預言」と「予言」は異なります。「預言」は神から預かった言葉という意味です。


5合唱(p31)
主なる神よ、あなたの意志が実現しますように、
地上でも、また天国でも。
与えて下さい、苦難の時に忍耐を。
愛と苦しみの中でも従順さを。
血と肉を全て妨げ、導いてください。
それがあなたの御旨に背くならば。

6福音書記者(p32)
12そこで一部隊の兵と千卒長とユダヤ人の(最高法院の)下役らとは、イエスをつかまえて縛り、13まずアンナスの所に引いていった。アンナスはその年の大祭司であったカヤパのしゅうとだったからである。14さきに「一人の人が民全体に代わって死ぬ方が得である」とユダヤ人に入れ知恵したのは、このカヤパであった


 カヤパは「その年の大祭司であった」とありますが、大祭司は毎年代わっていた訳ではなく、長ければ10年以上もその職にありました。たまたまこの頃4年間で大祭司が4人も交代していたので、このように書かれたものです。カヤパのしゅうとアンナスも過去において大祭司でしたが、引退後も引き続き隠然と力を振るっていたので、下役らはまずアンナスの所にお伺いを立てに行きました。
 共観福音書にはアンナスのことは書かれておらず、「大祭司の所」または「大祭司カヤパの所」に引いて行った、となっています。さらにマルコとマタイでは大祭司の所で死刑の判決が下されていますが、ヨハネ伝では総督ピラトの審問に重点があり、ここで判決が下されています。

7アリアAlto(p33)
私の罪から、私を解放しようとして
私の救い主は縄に捕らわれた。
あらゆる悪の病から癒すために、
あの方は身に傷を受けられるのだ。


 ここで「罪」という言葉が出て来ますが、これはこの世の法的な罪ではありません。「罪」とは生まれながらの罪、生まれながらにして神を知らないことで、我々の体には生まれながらにして既に遺伝的に神を知らない罪が組み込まれていると考えます。(ロマ書5章12)言葉を変えれば「自己愛」とも言えます。


8福音書記者(p39)
15さてシモン・ペテロともう一人の弟子とが、イエスについて行った。
(10曲目へ続く)

 これはシモン・ペテロがイエスに「あなたの為ならどこへでもついて行きます。命でも捨てます。」と言ったことにつながっています(ヨハネ13-37)。ここに出てくる「もう一人の弟子」とは誰のことを指すかは諸説あり、イエスに特別愛された弟子つまり使徒ヨハネを指すという説と、ヨハネの兄弟ヤコブを指すという説があります。


9アリアSoprano(p40)
私はあなたについて行きます、喜ばしい足取りで。
そして私は、あなたを離しません。
私の命、私の光よ。
この歩みを励まし、そして止むことなく、
いつも私を手引きし、後押しし、導いてください。



10福音書記者・門番の女・ペテロ・イエス・下役(p46)
(15)この弟子は、大祭司アンナスと知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の官邸の中庭に入って行ったが、16ペテロは門の外に立っていた。大祭司と知り合いの、先の弟子が出てきて門番の女に話して、ペテロを連れて入った。17すると、この門番の女がペテロに言う、「まさかあなたも(イエスとかいう)あの人の弟子ではあるまいね。」「もちろん(私は違う)」と彼が言う。18寒かったので、下男や下役らが炭火をおこして、立ってあたっていた。ペテロもいっしょに立ってあたっていた。19大祭司(アンナス)はイエスに、その弟子のことや、その教義のことを尋ねた。20イエスは答えられた「私は世間に向かって公然と話した。私はいつも、ユダヤ人が皆集まる礼拝堂や宮で教えて、何一つ隠れて話したことはない。21今ごろ私に、何を尋ねるのか。何を私が話したかは、聞いた人たちに尋ねたが良かろう。そら、この人たちは私の言ったことを知っているはずだ。」22こう言われたとき、(大祭司の)そばに立っていた下役の一人が、「大祭司殿に向かって何という口のききかただ」と言いながら、イエスに平手打ちをくらわせた。23イエスが答えた、「もし私が(大祭司に対して)無礼なことを言ったなら、その無礼を証明せよ。しかし間違っていないなら、なぜ打つのか。?」


 もう一人の弟子は、アンナスと知り合いだったので、官邸の中庭にまで入ることができました。ペテロはイエスの身を案じて後を追って来ましたが、相当大きな危険を伴うので中に入ることはできませんでした。そこでもう一人の弟子が門番の女に話してペテロを中庭に入れてやりました。しかしペテロはイエスの身の上を見守るためには、どうしても自分の素性を隠しておきたかったのです。門番の女に問いつめられると、彼は反射的に「自分はイエスの弟子ではない」と答えてしまいました。このペテロの「私は違う(Ich bins nicht.)」という応答は、ナザレ人イエスを探す人々に対してイエスが「私がそうだ(Ich bin's.)」と答えたことに対応しています。
 大祭司アンナスは、イエスに対してほんのお座なりで、形式的な質問をおこないました。イエスとユダヤ教団の間では、既にさんざん対決論争が繰り返されていたので、イエスは今さら答えようとはしなかったのです。イエスは、自分は悪事を企てる秘密結社のようなことはしていない、公然と人々に話しているので、その人達に聞いてくれと答えたところ、下役の一人は、大祭司に忠義立てをするためにイエスを平手打ちしました。


11合唱(p52)
誰があなたを、こんなにも鞭打つのですか。
私の救い主よ、誰があなたを苦しめ、ひどい目にあわせるのですか。
あなたは決して罪人ではありません。
私達や、私達の子孫と違って、
あなたは過ちを犯してはいません。

私です。私と私の罪なのです。
海辺の砂粒のように多い私の罪が、
あなたを追いやるのです、
あなたを鞭打つ悲惨へと、
また悲しい責め苦へと。


12a福音書記者(p53)
24そこで、アンナスはイエスを縛ったまま、大祭司カヤパの所に送った。25シモン・ペテロはそこに立って火にあたっていた。すると人々が言った、


 アンナスは、時の大祭司むこのカヤパの所にイエスをたらい回しにしました。カヤパのもとでイエスがどんな扱いを受けたかについては、ヨハネ伝は何も記述していません。ここでもう一度カヤパによる審問が行われたであろうことは想像できますが、ヨハネ伝はその内容を省略し、ペテロの否認へと話を移しています。カヤパの屋敷は、アンナスと同じ敷地にあったのでしょう。


12b合唱(p54)
(25)「あなたも、あれの弟子ではあるまいね。」


12c福音書記者・ペテロ・下役(p57)
(25)ペテロは打ち消して言った、「私は違う」。26大祭司の下男で、ペテロに耳を切り落とされた人の親族の者が言う、「確かにわたしは、あなたがあの人と一緒に園に居るのを見た。」27ペテロはまた打ち消した。するとすぐ鶏が鳴いた。
マタイ伝26章75節 ペテロは、(鶏が鳴く前に、三度私を知らないと言う、と言われた)イエスの言葉を思い出し、外に出て行って、さめざめと泣いた。(マタイ伝ここまで)


 この有名なペテロの否認の記事は、全ての福音書に詳しく出ています。それはおそらくペテロ自身がこの時の後悔の念を、後日追憶談として他の人に伝えたからであろう、と言われています。先生イエスのためなら命をも捨てる、と言い切った直情径行型のペテロは、イエスの死後、自身の挫折とイエスが神の子であったことを、後悔の念をもって多くの人々に先頭に立って伝え歩いたのです。
 熱血漢でありながら、感情的で意志の弱いペテロは、キリスト教の柱として、全世界への伝道の使命を負って働きました。
 ヨハネ伝はこのペテロの否認について、ペテロが打ち消したあとすぐ鶏が鳴いた、としか記していません。バッハはここで、マタイ伝26章75節の句を使用して劇的な効果を狙っています。但しマタイ伝にはペテロが思い出したイエスの言葉について「鶏が鳴く前に、三度私を知らないと言う」とイエスが言われた言葉を明記していますが、バッハは、「ペテロはイエスの言葉を思い出し、外に出て行ってさめざめと泣いた」と省略したテキストを使っています。これはペテロの否認の詳細については、聴衆は常識的に知っている、とバッハが考えたからではないでしょうか?

 また、マタイ伝26-75ではペテロは「さめざめと泣いた」(協会口語訳では「激しく泣いた」)と記されていますが、マルコ伝14-72では塚本訳「わっと泣き出し、涙が止まらなかった」、協会口語訳「泣き続けた」となっています。何れにせよバッハがここでマタイ伝のテキストを使ったのは、ヨハネ伝には記されていないペテロの胸中を表現したかったのだと思います。
 あれだけイエスを慕い「あなたのためなら命でも捨てます」と言った十二弟子の筆頭ペテロは、自身の安全のためにかくも簡単にイエスを否定してしまったことで、悔恨の涙の洪水が胸の中から湧き上がり烈しく男泣きに泣きました。この曲の33小節Adagioからの不安定な半音階は、混乱に心定まらずさめざめと泣くペテロの様子が描かれています。
 また次の曲、テノール・アリアの序奏部分は烈しい弦楽器で始まりますが、これはペテロの慟哭を表しています。1975年ドレスデンで録音された、ハンス・ヨアヒム・ロッチェ指揮、ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団の演奏は、特に単なるアリアの前奏ではなくペテロの悔恨と慟哭の表情がよく出ています。


13アリアTenore(p59)
ああ、我が心よ、どこへ行こうとするのか、
私はどこで心を休めたら良いのか?
ここに留まるべきか、
あるいは、この背中に山と丘が落ちかかることを願うべきか?
世界を見回しても、手だてはまるでなく、
その心の中は苦しみで占められている、
自らの悪事の苦しみによって。
それは、僕の身で、主を否定した報いなのだ。



14合唱(p64)
ペテロは、主の戒めを思い返さず、おのが神を否定した。
しかし、主の厳しいまなざしに会って、さめざめと泣いた。
イエス様、私を向いてください。
私が悔い改めをしない時、私が悪しき事をした時は、
私の良心を揺り動かしてください。


 春の強化練習の時、この曲について「ペテロが否認した場面なのに、曲のトーンが明るいのはなぜだろう」という話題がでました。これはユダのように裏切りで終わるのではなく、ペテロは後にイエスの死後回心して再度主の僕になったからではないでしょうか。ペテロには希望の明るさがあります。
 この合唱のテキストには、イエスを否定したペテロに向けられた厳しいまなざしと併せて、後悔の後再度イエス・キリストを向き直した気持ちが書かれています。




第2部


15合唱(p66)
私達に幸いを与えるキリストは、何も悪いことはされなかった。
私達の身代わりに、夜、盗人として捕らえられた。
神を恐れぬ者らの前に引き出され、そして偽りの告発を受け、
嘲られ、辱められ、唾を吐きかけられた。
聖書に預言されたように。



16a福音書記者・ピラト(p68)
ヨハネ伝18-28 人々はイエスをカヤパの所から、総督官舎に引いて行った。夜明けであった。しかし総督官舎には入らなかった。(異教人の家に入って身に)不浄を受けると、(その晩の)過越の食事をすることができなくなるからであった。29そこで、総督ピラトが彼らの所に出て行って言う、「いかなる廉(かど)でこの男を訴えるのか。」30彼らが答えて言った、


 ユダヤ人達は、イエスをローマ総督ピラトの官邸に引いて行きました。ローマから派遣されたピラトの駐屯地は、ユダヤ人の敏感な宗教感情を刺激しないようにとエルサレムでなく地中海に面するカイザリア(カイザルの名前から来ています)という所にありましたが、大きなお祭りなど事件がありそうな時はエルサレムに出張して来ていました。そこがピラト総督官邸です。
 その日は、夕方からユダヤ人にとって最も大切な過越の食事が行われる日です。過越の祭は、旧約聖書出エジプト記に記述されている出来事を起源とする、ユダヤ人にとってユダヤ民族であることを確認する一年で最も大切な日です。
 ユダヤの民は「食事をする前に汚れた行為をしてはならない」という律法を厳格に守っていました。そして「異邦人は汚れた者」であったので、過越の食事をする前に、ローマの異邦人の官邸に入りたくなかったのです。神の子イエスを殺すことを既定方針としていた彼らは、その恐るべき行為を計画する一方で、自らは汚れまいとしていました。


16b合唱(p69)
(30)「これが悪事をはたらいた男でなかったら、あなたに引き渡しはしません。(調べてください)」



16c福音書記者・ピラト(p76)
31ピラトが言った、「(はっきりした罪名の無いところを見ると、私が手を下すほどの事件ではなさそうだ。)お前達があれを引き取って、自分の法律で裁判するがよい。」ユダヤ人が(とうとう本音を吐いて)言った、


 ユダヤ人達は、イエスを是非裁いて欲しいと言っていますが、総督ピラトは出来るだけ係わりたくなかったので「お前達の最高法院で裁けば良いではないか?」と言ったのです。ここに至ってユダヤ人達は本音を言います。つまり宗教的違反者としてイエスを処罰することはユダヤ人の最高法院でできるが(ユダヤ人の最高刑は石打ちの刑)、彼らの計画はローマ皇帝カイザルに対する反逆罪という政治犯で十字架に掛けて殺すことを望んでいたのです。ユダヤ人は死刑を執行する権限をローマ政府から取り上げられていました。十字架という処刑方法もローマ方式です。
 次の合唱で大祭司連、パリサイ人達は訴えます。


16d合唱(p76)
(31)「我々には人を死刑に処する権限がありません。」


 この訴えは厳密な意味では正しくありません。石打ちの刑で実質的に死刑にすることはユダヤの最高法院で決定できましたが、十字架の刑で血を流してイエスの生命を断つ権限はない、という明確な十字架処刑の意図があっての訴えなのです。
 これから先は、総督ピラトが次第にユダヤ人達の圧力に屈して、イエスを十字架につけた事実上の責任者として世界史に残る人物となる過程が描写されて行きます。


16e福音書記者・ピラト・イエス(p81)
32これはイエスが(かねて)自分はどんな死に方で死なねばならぬかを、暗示して言われた言葉が成就するためであった。(ユダヤ人は十字架でなく、石打ちで死刑を行ったからである。)33そこでピラトはまた総督官舎に入り、イエスを呼び寄せて言った、「お前が、ユダヤ人の王か。」34イエスが答えられた、「あなたは自分の考えでそう言われるのか、それともだれかほかの人たちが、私のことをそうあなたに言ったのか。」35ピラトが答えた、「この私をユダヤ人とでも思っているのか。お前の国の人たち、ことに(その代表者の)大祭司連が、(その廉で)お前を私に引き渡したのだ。いったい何をしでかしたのだ。」36イエスが答えられた、「私の国はこの世のものではない。私の国がこの世のものであったら、私の手下の者たちが、私をユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし、実際のところ、私の国はこの世のものではない。」


 ピラトは外にいるユダヤ人達の訴えを聞くと官邸に入り、イエスを中に呼び寄せて今度はイエスに、「お前がユダヤ人の王か?」とお座成りな質問をします。それに対しイエスは「自分の本心から、そう聞いているのか?ユダヤ人から訴えられているから聞いているのか?どちらなのだ?」と鋭く核心を突きました。
 するとピラトはムッとして「お前たちユダヤ人同士の争いには係わりたくない。お前たちの代表者が、お前を私に引き渡したのだぞ。いったい何をしたのだ?」と聞きます。この時代すでにユダヤの律法では、その人の言い分を聞き、そのした事を知った上でなければ罰しないことになっていました。しかしユダヤ人の告訴理由がはっきりしないので、ピラトはこう尋ねたのです。
 イエスの答えは「自分はローマ政府に対立して国を治めようとするのではない。私の国(神の国)は、この世の政治的な国とは違う」と答えています。


17合唱(p84)
ああ、偉大なる王、代々限りなく大いなる者よ、
この真実をどの様に広めたら良いのでしょう?
人間の心は、あなたに捧げるものを思いつきません。
私は、私の心をもってあなたの憐れみに届くことは出来ません。
どうしたら、あなたの愛の行為に報いることができるでしょう。



18a福音書記者・ピラト・イエス(p85)
37そこでピラトが言った、「では、やっぱりお前は王ではないか。」イエスが答えられた、「王だと言われるなら、ご意見にまかせる。私は真理について証明するために生まれ、またそのためにこの世に来たのである。真理から出た者はだれでも、私の声に耳をかたむける。」38ピラトが尋ねる、「真理とは何か。」ピラトはこう言ったのち、またユダヤ人の所に出て行って言う、「あの人には何らの罪も認められない。39しかし、過越の祭の時に私が(囚人を)一人だけ(特赦によって)赦してやるのが、お前たちの慣例になっている。だから(この慣例によって)あのユダヤ人の王を赦してやろうか。」40すると彼らは一斉に叫んで言った、


 受難曲のドイツ語テキストでは、イエスの返答は「あなたが言った、私は王だと。」となっています。原語のギリシャ語は「あなたはそう主張する、なぜなら私は王だと。」「王とはあなたが言った言葉だ。」という意味になっています。協会口語訳では「あなたの言う通り、わたしは王である」となっていますが、これは少しニュアンスが違います。
 ヨハネ伝が言う真理とは科学的な真理や法則ではなく、神自身が真理であり、イエスを信ずることによってそれは我々の中に人格的な力となって入ってくる、イエスそのものの事です。
 ピラトはその事を理解できず、「彼は革命家でない事は確かだが、言っている真理とは何か?」という有名な質問を発しました。ピラトはローマの権力(この世の権力)の代表者ですから、神の国の代表者イエスとの間で、何の歯車の噛み合わせも起こらずに、核心に及ばない愚問を発したままピラトの尋問は終わりました。
 ピラトは何の反逆罪の立証もできず、この後はただ妥協の解決策を探るばかりです。まず彼は、過越祭の時に可能な恩赦の方法に話を切り替えました。過越祭の時にはローマ総督により重罪人の特赦が行われることが慣例となっていましたので、それを利用して形式的にイエスを有罪にしてユダヤ人の顔を立てた上で、彼を釈放しようとしたのです。これは自分の責任を逃れる、政治的な解決方法です。


18b合唱(p88)
(40)「その男ではない、あのバラバを!」


 バラバは今で言うテロリストで、メシア運動の革命家、正真正銘の政治犯です。人々の判断は、このように頼りないものです。
 ピラトの提案は、ユダヤ人達の火に油を注ぐ結果となってしまいました。


18c福音書記者(p89)
(40)バラバは強盗であった。
19章1節 そこでピラトは(何とかしてイエスを赦してやろうと思い、ユダヤ人を納得させるために)こんどは(兵卒たちに)イエスを鞭で打たせた。


 イエスの行動からは、政治犯として証明することができなかったピラトは、今度は一策を案じました。罪状には一切触れずに、兵卒たちにイエスを鞭で打たせ、人々にこんな無力で惨めな人が王であろうはずがない事を見せようとしました。ピラトのスタンドプレイです。
 マタイ伝では、ピラトはイエスに十字架の刑を言い渡した後に、鞭打たせたことになっています。それに対してヨハネ伝では、まだ刑は確定しておらず、ピラトはイエスを鞭打った後に釈放しようと考えていました。ですからこの鞭打ちは「鞭打ちの刑」ではありません。
 兵卒たちは命令されるままにイエスを鞭打ちます。


19アリオーソBasso(p90)
思いみよ、私の魂よ、
不安な満足と、苦い喜びと、半分ふさがれた心で、
イエスの苦痛の中にある、至上の宝を。
思いみよ、イエスを刺す茨に、天国の鍵の花(桜草)が咲くのを。
あなたはニガヨモギから甘い実をつみ取ることができる。
だから絶えずイエスを見なさい。



20アリアTenore(p92)
思いを致せ、イエスの血に染まった背中は、
天のように尊いことを。
そこでは、私達の罪の洪水が去ったあと、
とても美しい虹が、
神の恵みのしるしとして出るのです。



21a福音書記者(p101)
2また兵士らは茨で冠を編んで頭にかぶらせ、紫の上着を着せて(王に仕立てたのち)、3進み出て言った、


ローマ兵らは、ローマの王に被せる柔らかな葉を載せた月桂樹の冠ではなく、茨のトゲの冠をイエスに被せ、王の着る紫の法衣に似せた紫の上着を着せて皮肉りました。


21b合唱(p102)
(3)「ユダヤ人の王、ばんざい!」


 ローマ兵らは、さらにユダヤ人のイエス告訴理由を逆用して「ユダヤの王様ばんざい!」とイエスを侮辱すると同時に、ユダヤ人達をも皮肉ります。


21c福音書記者・ピラト(p105)
(3)そして兵卒たちは、いくつも平手打ちをくらわせた。4ピラトはまた外に出ていって彼ら(ユダヤ人)に言う、「見よ、あの人をお前たちの前に引き出す。あの人には何らの罪も認められない訳がわかろう。」5イエスが茨の冠をかぶり紫の上着をまとって(静かに)出てこられた。ピラトが言う、「見よ、この人だ。」6すると大祭司連や下役らはイエスを見て叫んだ、


「この人を見よ」 (ヒエロニムス・ボス)
この人を見よ Ecce Homo ヒエロニムス・ボス

 兵卒らは、今度はひっくり返すように平手でイエスを打ち続け、嘲弄の限りを尽くします。
ピラトは、惨めなイエスの姿を告訴した人々に見せて「こんな王様は笑うべき存在だ、これがユダヤ人の王とは、到底考えられないではないか(だからこの辺で終わりにしろ!)」という意味で「この人を見よ!」Ecce Homo. と言いました。これは「ご覧の通りだ、この男を見よ」「そら、これが問題の男だ」という意味で、大変有名な言葉です。「この人を見よ」は絵画ではよく取り上げられるテーマで、ニーチェもこの題名の自伝を書いています。
 ピラトの、「ひとつ釈放してやったらどうだ?」と政治家として演出効果を狙ったスタンドプレイは、ユダヤ人達の同情を計算したものです。
しかしこの小細工は、次の場面で裏目に出ます。 

21d合唱(p107)
(6)「十字架につけろ、十字架につけろ」
(イエスの惨めな姿を見てユダヤ人も心を和らげるだろうと見ていたピラトの当ては外れた。



21e福音書記者・ピラト(p113)
(6)ピラトは彼らに言う、「(もしそうしたければ)お前たちがこの人を引き取って、十字架につけたらよかろう。この人には罪を認められない。」7ユダヤ人が答えた、


 ピラトは「もしそうしたいなら、自分たちで十字架につけたら良かろう」と彼らにその権限が無いことを承知で、「そんな根拠のない政治犯の訴えは、取り下げたらどうだ?」と言いました。


21f合唱(p113)
(7)「我々には律法があって、その律法によると当然死刑です。神の子気取りでいるのだから。」


 そこでパリサイ人たちは「政治犯として訴えたのは口実で、要するに死刑にしたいのです」と本音の結論を言いました。自分自身を神の子として自称した、というのはユダヤ教の中の「神への冒涜」であって、この場合は旧約聖書の通り宗教犯として石打ちの刑を執行する権限は、彼らは持っていました。
 ローマに圧力を掛けて、イエスをローマの政治犯として十字架で確実に処刑したい、というのが彼らの当初からの筋書きでした。イエスの人気は民衆の間で広まっていたので、民衆の納得を得るためにもユダヤ人指導者達は自分たちの権限だけでなくローマの力も借りたかったのです。
 しかし、ここまで来ると彼らの論理の矛盾は、自ら見えなくなって来ました。


21g福音書記者・ピラト・イエス(p120)
8ピラトはこの(神の子という)言葉を聞くと、いよいよ薄気味悪くなり、9また総督官舎に入ってイエスにたずねる、「お前はいったいどこから来たのか。(ほんとうに天から来たのか。)」イエスは返事をされなかった。10するとピラトが言う、「この私に口をきかないのか?私はお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを知らないのか?」11イエスは答えられた、「あなたは上(神)から授けられない限り、私に対して何の権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが)私をあなたに売った者(ユダ)の罪は、あなたよりも重い。12このためピラトは(ますます恐ろしくなり、何とかして)彼を赦そうと思ったが、


 ここまでのピラトの動きを観察すると、官舎を何度も出たり入ったりして、動揺している様子がうかがえます。チラッと「あの男は、もしかしたら本当に神の子かもしれない」という恐れを抱いたからです。ピラトは、イエスの出生地はナザレであることは知っての上で、「お前はいったいどこから来たのか、何者だ?」と聞いたのです。しかし、これは真に神の真理を問う気持ちで聞いたのではなく、ただ遅疑逡巡してうろたえているだけの愚かな訊問です。そこでイエスは何も答えませんでした。
 そこでピラトは、私はお前の生殺与奪の権限を持っているのだぞ、とローマ帝国の権力を見せつけて、「その態度は損だと思わないのか?」と脅しました。イエスの答えは「神の権威がなければ、その権力は意味が無い」という意味です。11節の次の「私をあなたに売った者」が誰を指すかは難しい所です。塚本訳のように「ユダ」を指すと仮定すると私自身の解釈ですが、「ピラトは神の権威ではなくローマ政府の権威で十字架にしようとしているので、神の権威のないピラトの判断の罪はまだ軽いが、神の権威のあるイエスの為に働いてきたユダがそのイエスを裏切った罪は、より重い。」という意味だと思います。
  「私をあなたに渡した者」は、ギリシャ語の原文では総称的意味を含んだ単数形となっていますので、人一般を指します。だから、「私を渡した人、つまり神を知ろうとしない者の罪はさらに重い。人はイエスの十字架の贖いが無ければ永遠に罪の奴隷である」という意味と解釈できます。(次のコラールに意味がつながります。)


22合唱(p123)
神の子よ、あなたが捕らわれたことにより、
私達は解き放された。
あなたの牢は、恵みの玉座、信仰厚き者の避難所です。
あなたが奴隷とならなければ、
私達は永遠に奴隷であったでしょう。



23a福音書記者(p124)
(12)ユダヤ人が叫んだ、



23b合唱(p124)
(12)「この男を赦せば、あなたはカイザル皇帝の忠臣ではない。自分を王とする者はだれであろうと、カイザル皇帝の敵である。(それを助けるのだから)」


 ユダヤ人指導者たちのこの言葉は、ピラトにとって殺し文句です。ピラトは今や、二つの恐怖に直面しました。
 一つは、もしかしたら自分は神の子を処刑しようとしているかも知れないという恐怖、もう一つはユダヤ人指導者達が脅迫する通り、イエスを処刑せずに彼らの主張を拒否すれば自分自身がローマ皇帝に対する反逆罪に問われる恐怖です。それはピラトの政治生命を断つ「この世」的な重大な脅威です。
 ユダヤ人のこの言葉に、ピラトはトドメを刺され裁判席に着きます。


23c福音書記者・ピラト(p131)
13ピラトはこの言葉を聞くと(心を決し)、イエスを引き出して「敷石」-ヘブライ語でガバタ-という所で裁判席についた。14それは過越の祭の支度日で、昼の12時頃であった。ピラトが(イエスを指さしながら)ユダヤ人に言う、「見よ、お前たちの王様だ。」15すると彼らが叫んだ、


 ピラトはこの問題に関わりたくないと思い、イエスを釈放したかったのですが、とうとうユダヤ人の圧力に屈したため、せめてもの腹いせで「見よ、お前たちの王様だ!」と皮肉を言っています。


23d合唱(p133)
(15)「片付けろ、片付けろ、それを十字架につけろ」



23e福音書記者・ピラト(p139)
(15)ピラトが彼らに言った、「お前たちの王様を、十字架につけてよいのか。」大祭司連が答えた、


 ピラトは「お前達の王様を死刑にして良いのだな?」と最後のだめ押しをします。次のユダヤ人の最高責任者大祭司の答えで、全てが決まります。


23f合唱(p140)
(15)「我々にはカイザルのほかに王はない」


 ここにユダヤ人の大祭司連がこう答えたため、イエスの十字架がこの瞬間決まりました。これは彼らが気付かなかった重大な答えです。
 ユダヤ教を指導する国の責任者たちは、ローマ皇帝を最高の支配者とは認めずに、ヤハウェの神への忠誠を守り抜こうとしていたはずです。あのマカベア家が反乱を起こしてユダヤ民族の信仰の自由を勝ち取ろうとした時も、ユダヤ教の神殿に建てられた偶像への礼拝強制と戦っていました。
 その彼らが、信仰的立場を放棄して「ローマ皇帝のほかに王はない」と言い切ってしまったのです。この様な結論ありき、の無判断は現代の私達の身の回りにもたくさんあります。


23g福音書記者(p141)
16ここにおいてピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。そこで彼ら(兵卒ら)はイエスを受け取り、17イエスは自分で十字架をかついで、いわゆる「しゃれこうべの所」-ヘブライ語でゴルゴタ-へと(都を)出て行かれた。


 共観福音書には通りかかったシモンというクレネ人に、イエスの十字架を担がせたとありますが、ヨハネ伝ではイエス自身が担いで出て行かれたと記されています。ゴルゴタの丘までは長い坂道(後世「悲しみの道」Via Dolorosaと名付けられました)なので、おそらく初めはイエスが担いだが、疲労の極みだったイエスが動けなくなって代わりの者が担いだというのが真相だと思います。しかしヨハネ伝の記者は、余計なことは書かなかったのでしょう。
 次のアリアに挿入された合唱が「どこへ?」と問いかけているのは、イエスを否認したペテロが最後の晩餐の時に不安になってイエスに「主よ、どこへ行かれるのですか?」と尋ねた言葉の再現です(ヨハネ伝13章36節)。


24アリアBasso(p142)
ソロ  急げ、悩める魂よ、
    責め苦の穴から出なさい。
    急げ、
合唱  どこへ?
ソロ  ゴルゴタへ。
    信仰の翼を取りなさい
    飛びなさい。
合唱  どこへ?
ソロ  十字架の丘へ。
    あなた方の平安が、そこで待っている。



25a福音書記者(p151)
18そこで彼らはイエスを十字架につけた。またほかの囚人が、イエスを中にして、あちらとこちらで、一緒に十字架につけられた。19ピラトはまた捨て札を書いて十字架の上に掲げさせた。ナザレ人イエス、ユダヤ人の王と書いてあった。20多くのユダヤ人がこの捨て札を読んだ。イエスが十字架につけられた場所は、都に近かったからである。かつ捨て札は、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書いてあった(ので誰でも読むことができた)。21するとユダヤ人の大祭司連がピラトに抗議して言った、


イエスの十字架昇架 (レンブラント)
イエスの十字架昇架 レンブラント

 レンブラントの絵に、イエスが十字架にかけられている5枚の連作がありますが、その中にレンブラント自身が自画像となって十字架を見上げながら立てている絵があります。イエスを十字架につける行為を、レンブラントが手助けしている構図です。この絵には我々全人類がイエスの十字架に関係しているのだ、というレンブラントのメッセージが込められています。誰が、何が、イエスを十字架にかけたのか?その答えは、既に11曲目コーラルの2番 Ich, ich und meine Sünden の所に出ています。
 ピラトは刑の執行にあたって、イエスの十字架に「ユダヤ人の王」と書かれた罪状書きの札を付けさせました。過越の祭りのために数万人から数十万人の人がエルサレムに集まっていたと思われますが、それらの人々に分かるようにユダヤ人の言葉ヘブライ語、地中海世界の共通語ギリシャ語、ローマ帝国の公用語ラテン語の3つの言語で書かれましたので、だれでも読むことができました。ピラトの書いたこの札は、図らずもイエスの十字架の意味を全世界に知らしめるニュースのヘッドラインになったのです。 

25b合唱(p152)
(21)「『ユダヤ人の王』と書かずに、『この者はユダヤ人の王と自称した』と書き直してください。」


 ここの記述は共観福音書にはありません。逆に共観福音書には通りがかりの群衆がイエスを嘲笑したことが書かれています。ここでもヨハネ伝の記者は、様々な記事の取捨選択をして内容を練っています。


25c福音書記者・ピラト(p156)
22ピラトが答えた、「私が書いたものは、私が書いた通り。」


 プライドの高いユダヤ人達は、札の記述訂正を求めましたがピラトは応じませんでした。ピラトはイエスがユダヤ人の王を自称したことを認めていないのです。ローマ皇帝への反逆罪を立証できなかったピラトが、ユダヤ人の圧力に屈して保身のためにイエスを処刑した事実が図らずも表現されています。


26合唱(p157)
私の心の奥では、あなたの名前と十字架だけが、
いつも輝き、私に喜びを与えます。
どうか御姿をあらわし、苦難の中の私を慰めてください。
主なるキリストよ、
あなたがやさしく血を流して亡くなったように。



27a福音書記者(p158)
23兵卒はイエスを十字架につけると、イエスの上着を四つに分け、四人の兵卒がめいめいその一つを取った。下着もそうしようとしたが、下着には縫い目がなく、上から(下まで)全くの一枚織りであった。24それで彼らは話し合った、


 十字架の下で繰り広げられる兵卒たちの籤引きは、天から使わされたイエスの痛みを知ろうとしない哀れさがあります。処刑された人の着物を分けることは、当時の刑務官の役得であったのでしょう。


27b合唱(p159)
(24)「これは裂くまい。だれが取るか、くじで決めよう。」



27c福音書記者・イエス(p168)
(24)それは、聖書の次の言葉が成就するためであった。「彼らは互いにわたしの着物を自分たちで分け、わたしの着るものに籤を引いた。」(詩篇22編18)兵卒どもはこんなことをしたのである。25ところが一方、イエスの十字架のわきには、その母(マリア)と母の姉妹、クロパ(の妻)マリア、そしてマグダラのマリアが立っていた。26するとイエスは母上と、そばに立っている自分の愛する弟子とを見て、母上に言われる、「女の方、これがあなたの息子さんです。」27それからその弟子に言われる、「これがあなたのお母さんだ。」


 25節の「ところが一方」という箇所は、協会口語訳では「さて」と訳されていますが、これは兵卒らのこのような行為の一方で、十字架の脇には優しい女達が居た、という意味です。どんな女性が居たかは他の福音書では異なった記述になっていますが、イエスの母マリアはヨハネ伝だけに出てきます。
 十字架の傍らに居た女性は、イエスの母マリア、マリアの姉妹(二人ではなく姉又は妹)、クロパという人の妻マリア、マグダラのマリア(これは誰であるかは諸説ありますが不明)です。ここは様々な写本により「母の姉妹すなわちクロパの妻マリア」と読む場合もありますが、バッハの楽譜を見ると音型から前者と読んでいるようです。そして男の弟子たちが皆危険を感じて逃げてしまった中で、イエスの愛する弟子(使徒ヨハネと思われます)と女たちだけがイエスの最期を看取ります。
 イエスが母マリアに語りかけた「女の方」という呼び方は、特別よそよそしい表現ではありませんが、神の子である立場から、実の母とある程度距離を置いています。
 また「これがあなたの息子です」と言ったのは、イエスの愛する弟子(使徒ヨハネ)のことを指していて、「あなたが生んだ息子とはこれで別れるが、それを悲しまないで-新しい息子が与えられる。」という意味です。
 そして、この弟子に対しては「このマリアを自分の母と思って面倒を見てくれ」と母を託したのです。


28合唱(p170)
イエスは、最後の時にも、全てを気に掛け、
深く母を思い、後見人に託された。
おお人よ、正しいことを行い、神と人を愛しなさい。
そして苦しみなく死んで、嘆いてはいけない。



29福音書記者・イエス(p171)
(27)この時以来、その弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。28こうしたあと、イエスは(自分のなすべきことが)全て済んだことを知って、(最後に)聖書の言葉を成就させるために言われた、「渇く」。(詩篇22編15)29酸っぱい葡萄酒のいっぱい入った器が(そこに)置いてあった。人々はその酸っぱい葡萄酒を一ぱい含ませた海綿をヒソプ(の茎の先)につけて、イエスの口許に差し出した。30イエスは酸っぱい葡萄酒を受けると言われた、「全てすんだ」


 マタイ伝とマルコ伝は、イエスが最後に「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになるのですか。」という旧約聖書詩篇22編の言葉を絶叫されたと書いていますが、ヨハネ伝では同じ詩篇22編の「渇く」という言葉だけを収録しています。ヨハネ伝記者は、イエスの生涯と死は神様が計画なさったもので、イエスはそれに自ら従ったことを表したかったからでしょう。
 イエスは最後に「全てすんだ」と言いました。地上のイエスの生涯は終わったのです。この言葉の意味は、神のご意志、ご計画が全て完了したという意味です。
 仕事をしてはいけない日とされた安息日にイエスは病人を癒し、安息日の律法を守らないという反則を見つけたユダヤ人・パリサイ人は、自分を神の子として民衆の人気を集めているイエスを殺害しようと、虎視眈々とチャンスを狙っていました。そしてその目的を達成した今、実は神の栄光を表す結果となったのです。この新しい時の到来は、次のアルトのアリア最後近くのVivace「ユダ族から出た勇士は力強く勝ち、そして戦いを終わらせた」の所で、その前兆が現れます。


30アリアAlto(p173)
全てはすんだ。
おお、休まれよ、傷ついた魂よ安らかなれ、
全ては完了した。
悲しみの夜は、今や最後の時を刻んでいる。
ユダ族から出た勇士は、力強く勝ち、
そして戦いを終わらせた。
全ては完成した。



31福音書記者(p177)
(30)そして首を垂れて霊を(神に)渡された。



32アリアBassoと合唱(p178)
アリア
わが愛する救い主よ、お聞かせください。
あなたは十字架につけられ、
「全てすんだ」と言われました。
私は死から解き放たれたのでしょうか?
私は、あなたの苦難と死によって
天国に入ることができるのでしょうか?
全世界は贖(あがな)われたのでしょうか?
あなたは苦しみの余り、何の言葉もなく、
しかし、首をたれて沈黙のうちに
「そうだ、しかり」とおっしゃった。
コラール
イエスよ、あなたは亡くなられたが、
今こそ永遠に生きておられます。
最後の死の苦難の中にあっても、
私を(罪から)贖われたあなたに相対するのですから
(主の)ほかに誰にも、私を向けないでください、
おお、愛する主よ!
私にお分かちください、あなたが得られたものを。
私はそれ以上を望みません!


33福音書記者(p187)
マタイ伝27章51節 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして地震がおき、岩が裂け、52また幕が開いて、眠っていた多くの聖者たちの体が生き返った。(マタイ伝ここまで)



34アリオーソTenore(p188)
私の心よ、
今全世界はイエスの苦しみを分かち合い、
太陽は喪服をまとい、
幕は裂け、岩は裂け、地は震え、墓は開く。
創造主が冷たくなる様を見たからです。
こんな時、おまえは何をしようとしているのか、
我が心よ。



35アリアSoprano(p189)
溶けて流れよ、我が心よ、
涙の潮に乗って、いと高き者をたたえようと。
この世にも、天にも苦難を語れ、
あなたのイエスが亡くなった、と。



36福音書記者(p197)
ヨハネ伝19-31ユダヤ人たちは、その日は支度日(すなわち安息日の前日、金曜日)であったので、(翌日の)安息日に(三人の)遺体を十字架に残しておかないように-ことにその安息の日は(過越の祭の第一日で)ユダヤ人にとって大切な日であったから-ピラトに、すねを折って遺体を取り下ろしてくれと願い出た。32そこで兵卒らが来て、イエスと一緒に十字架につけられた第一の者と、もう一人の者との脛を折った。33しかしイエスの所に来て、すでに死んでおられるのを見ると、脛を折らずに、34(死を確かめるため)一人の兵卒が槍でその脇腹を突いた。すぐ血と水が流れ出た。35実際目で見た者(主の愛しておられた弟子)がこのことを証明している。-その証明は信用すべきである。彼は自分の言うことが真実であることを知っている-(これを書くのはイエスが神の子であることを)あなた達にも信じさせるためである。36このことが起こったのは「彼の骨は砕かれない」という聖書の言葉(出エジプト記12-46)が成就するためである。37さらに、「彼らは自分の突き刺した者を見るであろう」というほかの聖書の言葉(ゼカリア書12-10)もある。


 イエスの死で彼らの思い通りの結果になったユダヤ人にとって、最後に一つだけ困ったことがありました。ユダヤ教のおきてでは、罪人を死刑にした場合は翌日まで遺体をそのままにして置くことはできませんでした。翌日は安息日であり、しかもよりによってユダヤ人にとって一年で最も神聖な日である過越の祭りの第一日目だったので、今日(金曜日)中に遺体を埋葬しなければなりません。ユダヤの歴では、一日は日没で終わります。だから日没までに死体を処理しなければならなかったのです。
 そこで、イエスを十字架にかけた張本人たちは、イエスを含め3人の遺体を十字架から取り下ろすことを願い出ました。まだ生きて苦しみ続けている二人の罪人達は、死期を早めるために脛を折りましたが、イエスはほんの数時間で絶命してしまったのです。



37合唱(p200)
おおキリストよ、神の子よ、助けてください、
あなたの苦難を通して。
私達は、いつもあなたに従い、悪を避け、
あなたの死と、なぜ死なれたかを思い、
あなたに捧げます、感謝の捧げ物を。



38福音書記者(p202)
38そのあとで、アリマタヤ生まれのヨセフが-この人はユダヤ人(の役人たち)を恐れて、隠れてイエスの弟子になっていた人である-ピラトに、イエスの体を取り降ろしたいと願い出た。ピラトが許すと、彼は行って体を取り降ろした。39すると以前に、夜、イエスの所に来たニコデモも、没薬と沈香とを混ぜた物を百リトラ(32.8Kg)ばかり持ってきた。40彼らはイエスの体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、香料をふりかけた亜麻布でこれを巻いた。41ところがイエスが十字架につけられた場所(の近く)に園があって、園の中に、まだだれも納められたことのない、新しい墓があった。42その日はユダヤ人の支度日であったので、その墓が近いのをさいわい、(安息日が始まらないうちにと急いで)そこにイエスを納めた。


 イエスの痛ましい遺体に対して、高い地位にあってイエスの弟子であることを隠していたユダヤ人らが、最後にユダヤ人の習慣によって最高に手厚い埋葬を行います。この埋葬方法は、死刑囚の方法ではなく、王様を手厚く葬る時の方法です。
 そしてこの埋葬は、最後の儀式であると同時に救いの時の開始を告げています。クリスチャンという言葉はアウグスチヌスに仕える人という意味の、Augustiani に対して、キリストに仕える人 Christianos という語から出ています。ヨハネ伝は、イエスはどういう人であったのか、本当のメシア=救世主=ギリシャ語のキリストであったことを書いています。それもユダヤ人にとってのメシアであるだけでなく、ギリシャ語で代表される世界の人々にとっての救世主であることを伝えようとしたのです。


39合唱(p204)
憩え、安らかに、聖なる亡きがらよ、
私は、もうこれ以上泣きません。
憩え、安らかに、そして私もまた憩わせてください。
その墓は、あなたのために定められ(準備され)、
そしてどんな苦難もなく、
私を天国へと導き、
そして地獄の門を閉ざすのです。



40合唱(p216)
主よ、あなたの愛する天使に命じて、
私が最後の時を迎えたら、
私の魂をアブラハムのひざまで運ばせてください。
この体を、その寝所に、苦しみも痛みもなく、安らかに、
最後の審判の日まで置かせてください。
その日には、私を死からよみがえらせ、
喜びあふれる目で、
あなたを見させてください。
神の子よ、我が救い主、かつ恵みの王座よ!
主イエス・キリストよ、
私の声をお聞きください。
私は永遠にあなたを讃えます。


 マタイ受難曲は悲しみのうちに終わりますが、ヨハネ受難曲はこの力強い終曲で幕を閉じます。この最後の曲は、この世の迷いの中にあってもイエスを信じ、キリスト者として力強く生きる宣言です。
 悲しみではなく、今、この世に生きる人に、勇ましく生きる勇気を与えてくれます。


8,ヨハネ・パウロ→ルター→バッハ→私達


 ヨハネ伝に書かれたイエスの受難記事を中心に勉強して来ましたが、イエスの十字架は2000年も後の日本に住む我々には預かり知らぬことだ、という考えもあるかも知れません。しかし、考えてみれば私達が異国のイエスという神の子をテーマにした曲を演奏しようとしていることは不思議なことです。このテーマが作曲者バッハにたどり着くまでには、人々の長い旅がありました。
 イエスを三度も否定した、あの弱いシモン・ペテロのその後の消息はどうなったでしょうか?埋葬から三日後に、イエスの遺体が無い、と知らせを受けたペテロは、急いでもう一人の弟子と墓に走りました。墓の入口を塞いでいた石は除かれ、まさしく遺体は無くなっていました。
 ペテロは失意に、いなかのガリラヤに帰ってしまいました。ペテロは元々ガリラヤ湖で漁師をしていたのです。夜明けに漁をしていると、よみがえったイエスが岸に立っていました。イエスは、ペテロが自分を三度も否定したことは問わずに、今度はペテロに三度「私を愛しているか?」と尋ね、ペテロは三度とも「愛しています」と答えます。(イエスとペテロが言った「愛する」という言葉は、ギリシャ語では互いに異なった語ですが、ここでは触れません。)
 イエスはペテロに「私の羊を飼いなさい」と言ってペテロを許し、伝道者に導きました。イエスを三度まで否認して慟哭の涙を流したあのペテロは、その後イエス・キリストの伝道者となって、恐らくAD64年ローマ皇帝ネロによる初代キリスト教信者への大迫害で殉教したであろう時まで、忠実なキリストの僕として働いたのです。
 イエスの「愛する弟子」であったヨハネ伝の記者は、ヨハネ伝の最後において、復活のイエスがペテロに対して「わたしについて来なさい」とペテロに殉教の予言をしたと書いています。ヨハネ伝の記者はペテロより長く生きて、このヨハネ伝の筆を置いています。
 ヨハネや、ペテロの働きが無ければ、キリスト教は広まりませんでした。
さらに当初パリサイ派のユダヤ教徒としてキリスト教信者を迫害していたパウロという人物は、信者を処刑する大祭司の勅命書を携えてダマスコ(今のシリア・ダマスカス)に馬を走らす途中で、「サウロ(パウロ)よ、なぜ私を迫害するのか?」という稲妻のような復活のイエスの言葉に打たれて回心しました。パウロの目から鱗のようなものが落ちて目が覚めたのです(「目から鱗」という言葉は、聖書のこの言葉から出ています)。
 親の代からローマの市民権を持ち、ギリシャの教養を身につけていたパウロは180度方向転換をして地中海世界へキリスト教を広めました。やはり同様に、このパウロの働きが無ければキリスト教は世界に広まりませんでした。
パウロの伝道旅行行程

         パウロの伝道旅行行程  日本聖書協会 聖書地図 (日本聖書協会承認済み


 そしてAD313年ローマ皇帝コンスタンチヌス帝がキリスト教を公認(ミラノの勅令)するに至りましたが、ローマの教会はあまりにも政治的力を持ちすぎました。またキリスト教がヨーロッパ全体に広がって行く過程で、様々な聖人やマリア信仰など聖書の教えとは異なる文化が生まれたり、キリスト教を政治的な力や観光・人寄せに利用する行為が、イエスの十字架の贖いとは無関係な世界を作り出してしまったことも事実です。
 しかし時代がさらに進み、マルティン・ルターが新約聖書のドイツ語訳という大事業を成し遂げたことで、時の印刷技術の発展とともに、聖書が民衆のものになりました。それまでラテン語で書かれた聖書は司祭や僧侶のもので、一般民衆は教会へ行けば、司祭が聖書を読み解いてくれて自ら聖書を読まなくても功徳が得られたのです。
 我々が学校時代習ったルターの仕事は、「95か条の論題」をヴィッテンベルク城教会の扉に貼りだして免罪符販売に抗議したことが一番記憶に残っていますが、もっと重要な仕事がこの「新約聖書のドイツ語訳」ではないでしょうか。ルターは信仰のただ一つの拠り所を、神の言葉すなわち聖書として、聖書を教会や聖職者の手から民衆に取り戻したのです。ルターの訳したドイツ語新約聖書はまたたく間に民衆の教科書となっただけでなく、バラバラだったドイツ語が新約聖書により近代ドイツ語の原型ともなり、ゲーテやシラーの時代まで文化的役割を演じました。
 ルターは、上記のパウロが書いたロマ書(ローマ人への手紙、パウロがローマのキリスト教信者宛てにキリスト教の神髄を書いた書簡でパウロの信仰の集大成)をこよなく愛し、大学でのルターのロマ書講義は、学生だけでなくヴィッテンベルク市民が老人も青年も熱心に聴講に来たそうです。
 一昨年の第38回定期演奏会で演奏したバッハのモテット「イエスよ、わが喜び」"Jesu, meine Freude" BWV 227 のテキストは、このロマ書からのものです。これを歌った時は、パウロ、ルター、バッハへと引き継がれて日本の我々が、今、歌えるということに大きな喜びを感じました。
 またルターは、音楽を聖書と並んで信仰を強めるための強力な手段と考え、自ら讃美歌(コラール)を作曲しました。
 ルター(1483~1546)のおよそ200年後の人であるJ.S.バッハ(1685~1750)は、ルターがラテン語学校の学生時代に住んでいたアイゼナッハで生まれ、少年期を過ごしています。またバッハはルター派正統主義に属し、ルターと同じように音楽は人を神に近づけるものと考えていました。
 バッハは職業音楽家として作曲を生業にしていたことは事実ですが、それ以上に音楽を神様への捧げ物として、自らの信仰に基づいて熱心に作曲に心血を注いだことは間違いないと思います。

 最後になりますが、私はこの資料をまとめる過程で、ヨハネ、パウロ、ルター、バッハに共通の姿があることに気付きました。これらの人々は皆、狂信的・盲目的にある宗派に傾倒して、分かったような顔をして先人の信仰を語っていた訳ではなく、自ら神とイエスに向き合ってその意味を自分のものにしていたという点です。
 ヨハネは、イエスに関するたくさんの資料から、ほんとうにイエスは神の子であったことを伝えています。パウロは、イエスを信じるが故に迫害を受けている世界に散らばり始めた信徒に向かって、自分の言葉で勇気づけをしました。ルターはそれまでの教会に抵抗(プロテスト)して、聖書こそ信仰の拠り所であることを示しました。バッハは、音楽を神様への捧げ物として後世に残る音楽を全精魂を込めて書き残しました。バッハもまた、特定の神学や教理、典礼様式に形式的に従った訳ではなく、自らイエスの最期に対する深い同情と尊敬とをもって素手で聖書に向き合いながら仕事をした人でした。
 以上のような長い歴史の端点で、私達はバッハの音楽に今接することができます。ヨハネ受難曲を歌おうとする私達は、キリスト教を信じなければ歌えない、という訳ではありません。また逆に「神様!イエス様!十字架!..」と盲信的に分かったように雰囲気に浸るのも全てを見失うと思います。合唱パートを歌うだけでも相当の努力が必要になると思いますが、出来ればこの拙い資料などを参考にしていただきながら、自らヨハネ伝のテキストに向き合い自分なりに解釈することで、最高の感動を全員で共有したいと思います。

 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

Base 石坂幸一


 このページは団員向けに作成したものですが、この資料(A4、モノクロ,24ページ、1.9Mb)のPDFファイルが必要な方は、以下の問い合わせページ・リンクからお申し込みいただければ、Eメールでお送りします。
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